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          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(1) 
          
          ●あと片づけとあと始末 
          
           あと片づけとあと始末は、基本的に違う。たとえば「部屋に散らかったものを片づける」は、あ 
          と片づけ。「使った食器をシンクへもっていき、そこで食器を洗い、ナプキンでふく」は、あと始 末。日本人はあと片づけには、うるさいが、あと始末には甘い。これは日本人の国民性のよう なもの。日本人は何かにつけて、責任の所在をはっきりさせるよりも、ものごとをナーナーです まそうとする。 
           オーストラリア人の子育てをみても、彼らはあと片づけには、それほどうるさくない。子ども部 
          屋だと、散らかっているのが当たり前という状態。しかしあと始末にはうるさい。冷蔵庫から出 したものを、テーブルの上に置いておこうものなら、子どもたちは親にひどく叱られる。そうそう 以前、こんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。 
          「ヒロシ、日本の子どもたちは、皆、スポイルされているよ」と。「スポイル」というのは、「ドラ息 
          子化している」という意味だ。そこで私が「君はどんなところを見てそう言うのか」と聞くと、こう話 してくれた。 
           彼はときどき日本の子どもたち(英会話教室の生徒)を、自宅にホームステイさせているのだ 
          が、それについて、「食事の前に料理を手伝わない」「食後も食器を洗わない」「シャワーを浴び ても、アワを流さない」「朝起きても、ベッドをなおさない」「……何もしないのだよ」と。 
           あと片づけをうるさく言い過ぎると、かえって子どもにとっては居心地の悪い世界になってしま 
          う。アメリカの作家のソローも、こう言っている。「ビロードのクッションの上に座るよりも、カボチ ャンの頭に座るほうが、休まる」と。しかしあと始末は別。子どもにはどんどんとあと始末をさせ る。そういう習慣が、責任感の強い子どもをつくる。 
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          ●子どもの横を歩く 
          
           親には三つの役目がある。一つ目に子どもの前を歩く。子どものガイドとして。二つ目に、子 
          どものうしろを歩く。子どもの保護者として。そして三つ目に、子どもの横を歩く。子どもの友とし て。昔、オーストラリアの友人が話してくれたことだ。 
           日本人の子育てをみると、このうち一つ目と二つ目については問題ない。が、三つ目が弱 
          い。自分の子どもを「友」としてとらえていえる人は、少ない。あるいはそう感じていても、一方で 昔からの「親意識(権威意識)」が強いため、どうしても子どもを「下」に見てしまう。そこでテス ト。 
           あなたの子どもがあなたに向かって、「バカヤロー」と怒鳴ったとする。そのとき、あなたは、 
          
          (1)「『親に向かって、何だ!』と子どもを叱る。そういうことを言うのは許さない」、 
          
          (2)「子どものことだから口が悪いのは当たり前。相手にしない」の、どちらだろうか。親意識の 
          強い人ほど、(1)のように感ずるし、そうでない人ほど、(2)のように感ずる。もちろんその中 間もある。またこう書いたからといって、子どもが親に「バカヤロー」と言うのを容認せよというこ とでもない。 
          むしろ問題は、子どもがそういうことを言えないほどまでに、親の親意識で子どもを抑え込んで 
          しまうこと。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、子どもの心は あなたから離れる。 
           子どもと「友」になるということは、子どもの言いなりになれということではない。子どもを甘や 
          かせということでもない。子どもの「友」になるということは、子どもを「下」に見るのではなく、対 等の人間としてみるということ。たとえばアメリカでは、親子でもこんな会話をしている。 
          父「お前は、パパに何をしてほしい?」、 
          
          子「パパは、ぼくに何をしてほしい?」と。 
          
          こうした謙虚な気持ちが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。 
          
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          ●家庭教育の誤解 
          
          (1)忍耐力……よく「うちの子はサッカーだと一日中している。ああいう力を勉強に向けさせた 
          い」という親がいる。しかしこういう力は忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけ。子ど もにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。たとえば台所の生ゴミを手で始末 するとか、風呂場の排水口にたまった毛玉を始末するとか、そういうことができる子どもを忍耐 力のある子どもという。 
          (2)やさしさ……公園でブランコを横取りされたとする。そういうときニッコリと笑いながら、その 
          ブランコを明け渡すような子どもを、「やさしい子ども」と考えている人がいる。しかしこれも誤 解。このタイプの子どもは、それだけ」ストレスをためやすく、いろいろな問題を起こす。子ども にとって「やさしさ」とは、いかに相手の立場になって、相手の気持ちを考えられるかで決まる。 もっと言えば、相手が喜ぶように自ら行動する子どもを、やさしい子どもという。 
          そのやさしい子どもにするには、買い物に行っても、いつも、「これがあるとパパが喜ぶわね」 
          「これを買ってあげるから、妹の○○に半分分けてあげてね」と、日常的にいつもだれかを喜 ばすようにしむけるとよい。 
          (3)まじめさ……従順で、言われたことをキチンとするのを、「まじめ」というのではない。まじめ 
          というのは、自己規範のこと。こんな子ども(小3女子)がいた。バス停でたまたま会ったので、 「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、こう言った。「これから家で夕食を食べます から、いらない。缶ジュースを飲んだら、ごはんが食べられなくなります」と。こういう子どもを「ま じめな子ども」という。 
          (4)すなおさ……やはり言われたことに従順に従うことを、「すなおな子ども」と考えている人は 
          多い。しかし教育の世界で「すなおな子ども」というときは、心の状態(情意)と、顔の表情が一 致している子どもをいう。怒っているときには、怒った顔をする。悲しいときには悲しい顔をす る、など。情意と表情が一致しないことを、「遊離」という。子どもにとっては、たいへん望ましく ない状態と考えてよい。たとえば自閉傾向のある子どもがいる。このタイプの子どもの心は、柔 和な表情をしたまま、まったく別のことを考えていたりする。 
          (5)がまん……子どもにがまんさせることは大切なことだが、心の問題とからむときは、がまん 
          はかえって逆効果になるから注意する。たとえば暗闇恐怖症の子ども(3歳児)がいた。子ども は夜になると、「こわい」と言ってなかなか寝つかなかったが、父親はそれを「わがまま」と決め つけて、いつも無理に寝させていた。がまんさせるということは、結局は子どもの言いなりにな らないこと。そのためにも 親側に、一本スジのとおったポリシーがあることをいう。そういう意 味で、子どものがまんの問題は、決して子どもだけの問題ではない。 
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          ●子どもに与えるものは、100倍 
          
           子どもの金銭感覚は、幼稚園の年長児から小学2年ぐらいにかけて完成する。「ふえた」「減 
          った」「トクをした」「損をした」など。お金で物欲を満たす、その満たし方まで、この時期に覚え てしまう。そういうわけでこの時期の金銭感覚が狂うと、あとがたいへん。そこで、子どもに買い 与えるものは、心の中で100倍するとよい。 
          たとえば100円のものは1万円。1000円のものは10万円、と。つまり子どもが100円のもの 
          から得る満足感は、おとなが1万円のものから得る満足感と同じということ。1000円のものか ら得る満足感は、おとなが10万円のものから得る満足感と同じということ。この時期に、100 0円や1万円のものをホイホイと買い与えていると、やがて子どもが大きくなり、高校生や大学 生になったとき、それこそ10万円のものや、1000万円のものを買い与えないと、満足しなくな る。もしあなたにそれだけの財力があれば話は別だが、安易な気持ちで買い与えるようなこと は、やめたほうがよい。 
           また「より高価なものを買ってあげればあげるほど、深い親の愛のあかし」と考えている人が 
          いる。戦後のあのひもじい時期を過ごした人ほど、この傾向が強い。しかしこれはまったくの誤 解。ではどうするか。 
           イギリスの格言に、『子どもに釣り竿を買ってあげるより、魚釣りに釣れていけ』というのがあ 
          る。子どもの心をつかみたかったら、子どもにものを買い与えるより、魚釣りに行けという意味 だが、これは子育ての基本でもある。 
          多くの親は、「高価なものを買い与えてやったから、子どもは親に感謝しているはず」と考える。 
          しかし実際には、感謝などしていない。「ありがとう」とは言うが、その場だけ。あるいはたいて いのばあい、かえって逆効果。 
           子どもの場合、不自由やひもじさ、さらには思いどおりにならないことが、子どもの生活力を 
          養う原動力となる。また子どもの心をとらえるということは、もっと別のこと。そういうことも考え ながら、子どもの金銭教育を考える。 
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          ●知識と「考えること(思考)」は別 
          
           たいていの親は、知識と思考を混同している。「よく知っている」ことを、「頭のよい子」イコー 
          ル、「よくできる子」と考える。しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえば幼稚園児でも、掛け 算の九九をペラペラと言う子どもがいる。しかしそういう子どもを、「頭のよい子」とは言わな い。「算数がよくできる子」とも言わない。 
          中には、全国の列車の時刻表を暗記している子どももいる。音楽の最初の一章節を聞いただ 
          けで、曲名を当てたり、車の一部を見ただけで、メーカーと車種をあてる子どももいる。しかし 教育の世界では、そういうのは能力とは言わない。「こだわり」とみる。たとえば自閉症の子ど もがいる。このタイプの子どもは、ある特定のことがらに、つよいこだわりをもつことが知られて いる。 
           考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、考えること自体 
          を避けようとする。あるいは考えること自体から逃げようとする。一つの例だが、夜のテレビを にぎわすバラエティ番組がある。ああいった番組の中では、見るからに軽薄そうなタレントが、 思いついたままをベラベラというより、ギャーギャーと騒いでいる。彼らはほとんど、自分では何 も考えていない。脳の、表層部分に飛来する情報を、そのつど適当に加工して言葉にしている だけ。つまり頭の中はカラッポ。 
           パスカルは「パンセ」の中で、『人間は考えるアシである』と書いている。この文を読んで、「あ 
          ら、私もアシ?」と言った女子高校生がいた。しかし先にも書いたように、「考える」ということ は、もっと別のこと。たとえば私はこうして文章を書いているが、数時間も書いて、その中に、 「思考」らしきものを見つけるのは、本当にマレなことだ。(これは多分に私の能力の限界かも しれないが……。) 
          つまり考えるということは、それほどたいへんなことで、決して簡単なことではない。そんなわけ 
          で残念だが、その女子高校生は、そのアシですら、ない。彼女もまた、ただ思いついたことをペ ラペラと口にしているだけ。 
           多くの親は、「ほら、英語教室」「ほら、算数教室」と子どもに知識をつけさせることを、教育と 
          思い込んでいる。しかし教育とはもっと別のこと。むしろこういう教育観(?)は子どもから「考え る」という習慣をうばってしまう。私はそれを心配する。 
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          ●いつも前向きの暗示を 
          
           「あなたはどんどんよくなる」「あなたはさらにすばらしい子になる」という、前向きの暗示が、 
          子どもを伸ばす。前向きに伸びている子どもは、ものごとに積極的で攻撃的。何か新しいこと をしようかと提案すると、「やる」「やりたい」とか言って、くいついてくる。これは家庭教育の常識 だが、しかし問題は、子どもにというより、親にある。 
           親自身がまず子どもを信ずること。「うちの子はすばらしい子だ」という思いが、子どもを伸ば 
          す。心というのはそういうもので、長い時間をかけて、相手に伝わる。言葉ではない。そこでテ スト。 
           あなたが子どもを連れて街の中を歩いていたとする。すると向こうから高校時代の同級生が 
          歩いてきた。そしてあなたの子どもを一度しげしげと見たあと、「(年齢は)いくつ?」と聞いたと する。そのときあなたはどのように感ずるだろうか。 
           自分の子どもに自身のある親はこういうとき、「まだ」という言葉を無意識のうちに使う。「まだ 
          5歳ですけど……」と。「うちの子はまだ5歳だけど、すばらしい子どもに見えるでしょ」という気 持ちからそう言う。しかし自分の子どもに自信のない親は、どこか顔をしかめながら、「もう」と いう言葉を使う。「もう5歳なんですけどねえ」と。「もう5歳になるが、その年齢にふさわしくな い」という気持ちからそう言う。 
          もちろんその中間ということもあるが、もしあなたが後者のようななら、あなたの心をつくりかえ 
          たほうがよい。でないと、あなたの子どもから明るさがますます消えていく。そうなればなった で、子育ては大失敗。ではどうするか。 
           子どもというのは、一度うしろ向きになると、どこまでもうしろ向きになる。そして自ら伸びる芽 
          をつんでしまう。こんな子ども(中学女子)がいた。ここ一番というところになると、いつも、「どう せ私はダメだから」と。そこでどうしてそういうことを言うのかと、ある日聞いてみた。すると彼女 はこう言った。 
          「どうせ、○○小学校の入試で落ちたもんね」と。その子どもは、もうとっくの昔に忘れてよいは 
          ずの、しかも10年近くも前のことを気にしていた。こういうことは子どもの世界ではあってはな らない。 
           そこでどうだろう。今日からでも遅くないから、あなたもあなたの子どもに向かって、「あなたは 
          すばらしい子」を言うようにしてみたら……。最初はウソでもよい。しかしあなたがこの言葉を自 然な形で言えるようになったとき、あなたの心は今とは変わっているはずである。当然、あなた の子どもの表情も明るくなっているはずである。 
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          ●子どもの横を歩く 
          
           親意識の強い人は、「子どものことは私が一番よく知っている」と、何でもかんでも親が決め 
          てしまう。子どもの意思など、まったくの無視。たとえばおけいこごとを始めるときも、またやめ るときもそうだ。「来月から、○○音楽教室へ行きますからね」「来月から、今の教室をやめて、 △△教室へ行きますからね」と。子どもは親の意向に振りまわされるだけ。 
           こうした子育てのリズムは、親が子どもを妊娠したときから始まる。ある母親は胎教と称し 
          て、毎日おなかの子どもに、クラッシックや英会話のテープを聞かせていた。また別の母親は、 時計とにらめっこをしながら、その時刻になると赤ちゃんがほしがらなくても、ミルクを赤ちゃん の口につっこんでいた。さらにこんな会話をしたこともある。ある日一人の母親が私のところに きて、こう言った。 
           「先生、うちの子(小3男児)を、夏休みの間、サマーキャンプに入れようと思うのですが、どう 
          でしょうか?」と。その子は、ハキのない子どもだった。母親はそれを気にしていた。そこで私が 「お子さんは行きたがっているのですか?」と聞くと、「それが行きたがらないので、困っている のです」と。こうしたリズムは、一事が万事。そこでこんなテスト。 
           あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころ、(1)あなたは子どもの前を、子どもの手 
          を引きながら、ぐいぐいと歩いていただろうか。それとも(2)子どものうしろや横に回りながら、 子どものリズムで歩いていただろうか。(2)のようであれば、よし。しかしもし(1)のようであれ ば、そのときから、あなたとあなたの子どものリズムは乱れていたとみる。今も乱れている。そ してやがてあなたは子どもとこんな会話をするようになる。 
           母「あんたは、だれのおかげでピアノを弾けるようになったか、それがわかっているの。お母 
          さんが毎週、高い月謝を払って、あなたを音楽教室へ連れていってあげたからよ」、子「いつ、 だれが、お前にそんなことをしてくれと頼んだア!」と。 
           そうならないためにも、子どもとリズムを合わせる。(子どもはあなたにリズムを合わせること 
          はできないので。)今日からでも遅くないから、子どもの横かうしろを歩く。たったそれだけのこ とだが、あなたはすばらしい親子関係を築くことができる。 
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          ●方向性は図書館で 
          
           子どもの方向性を知るためには、子どもを図書館へ連れていけばよい。そして数時間なら数 
          時間、自由に遊ばせてみる。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを、静かに観 察する。そのときその子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。 
          たとえばサッカーの好きな子どもは、サッカーの本を読む。乗り物や機械的なものが好きな子 
          どもは、そういう類の本を読む。この方向性をうまく利用すれば、子どもは伸びるし、それにさ からえば、子どもは伸びない。こんな例がある。 
           子どもに「好きな本を1冊買ってあげるから、選びなさい」と言っておきながら、子どもが何か 
          本を選んでくると、「こんな本ではダメ。もっとおもしろいのにしなさい」と。こういう親の身勝手さ は、子どもの方向性をつぶす。 
          それがたとえ親の意向に反したものであっても、「おもしろそうね。ママも読んでみたいわ」と言 
          ってあげる。そして子どもの方向性を前向きに伸ばしてあげる。たとえば本は嫌いでも、ゲーム の攻略本は読むという子どもはいくらでもいる。そういうときは、ゲームの攻略本を利用して、 本のおもしろさを子どもに教えればよい。 
           要するに子育てで押しつけは禁物。イギリスの格言にも、「楽しく学ぶ子どもはよく学ぶ」 
          (Happy learners learn best.)というのがある。子どもに何かをさせたかったら、まず楽しい ということを教える。あとは子どもに任せればよい。子どもは自分で伸びる。また多くの親は、 「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、しかしやる、やらないも、「力」のうち。 そういうときは「やってここまで」とあきらめる。このあきらめが子どもを伸ばす。 
           話はそれたが、これからはプロが伸びる時代。そのためには、子どもの一芸を大切にする。 
          この一芸が子どもを側面から支え、ばあいによっては、子どもの職業となることもある。そうい う意味でも、子どもの方向性は大切にする。 
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          ●親像はぬいぐるみで 
          
           子ども(幼児から小学低学年児)に、母性や父性が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人 
          形を抱かせてみればわかる。母性や父性が育っている子どもは、ぬいぐるみを手にすると、さ もいとおしいといった表情で、それを抱く。中には頬をすりよせてくる子どももいる。しかしそうで ない子どもは、ぬいぐるみをみたとたん、足でキックしたりしてくる。 
          私が調べたところ、幼稚園の年長児で、男女を問わず、10人のうち8名が、ぬいぐるみを見せ 
          るとうれしそうな顔をし、約2人弱が、反応を示さないか、あるいはキックしたりするのがわかっ た。さらに小学校の4、5年児について調べてみると、約80%が、「ぬいぐるみ大好き」と答え、 そのうち約半数が、ごく日常的に多くのぬいぐるみと接しているのがわかった。 
           子育ては本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり親によって育てられたという経 
          験が身にしみこんでいて、今度は自分が親になったとき、子育てができるようになる。それを 「親像」という。が、不幸にして、不幸な家庭で育てられ、この親像がしっかりしていない人がい る。しかし問題は親像がないことではない。むしろ何不自由なく、親の温かい愛情に恵まれて 育った人のほうが少ない。 
          問題は、その親像のないことに気づかないまま、それに引きまわされ、同じ失敗を何度も繰り 
          返すことである。ある父親は、私にこう相談してきた。「娘を抱いていても、どれだけ抱けばいい のか。どう抱けばいいのか。それがわからない」と。その父親は、彼の父親を戦争でなくし、母 親の手だけで育てられていた。つまり彼の中には「父親像」がなかった。 
           話がそれたが、これだけは言える。ぬいぐるみを見せたとき、いとおしそうな表情を示す子ど 
          もは、将来、やさしいパパやママになることができる。(そうでない子どもは、そうでなくなるとは 言えないが……。)そんなわけでもし心配な点があるなら、子どもにはぬいぐるみをもたせると よい。これには男女の差別はない。またあってはならない。男の子でも、ぬいぐるみで遊んでい る子どもはいくらでもいる。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(10) 
          
          ●一芸を大切に 
          
           子どもには一芸をもたせる。「一芸」というのは、子どもの側からすれば、「これだけは絶対に 
          人には負けない」というもの。周囲の側からすれば、「このことについては、あいつにかなうもの はいない」というもの。この一芸が子どもを伸ばす。あるいは子どもを側面から支える。中に は、「勉強、一本!」という子どももいるが、このタイプの子どもは、一度勉強でつまずくと、あと は坂をころげ落ちるかのように、成績がさがる。 
           一芸は、見つけるもの。この一芸は、つくろうとしてつくれるものではない。子どもの日ごろの 
          様子を観察していると、「これは!」というものに気がつく。それが一芸。ある女の子(1歳)は、 風呂の中でも平気で湯にもぐって遊んでいた。 
          そこで母親がその子どもを水泳教室へ入れてみたが、案の定、「水を得た魚」のように泳ぎ始 
          めた。また別の男の子(5歳児)は、父親が新車を購入すると、スイッチに興味をもち、「このス イッチは何だ」と聞きつづけた。そこで私に相談があったので、パソコンを買ってあげることを すすめた。この子どもも予想通り、パソコンに夢中になり、やがて小学3年生になるころには、 ベーシック言語で、自分でつくったゲームで遊ぶようになった。 
           ただし同じ一芸でも、ゲームがうまいとか、カードをたくさん集めるとかいうのは、ここでいう一 
          芸ではない。一芸というのは、将来に向って創造的なもの、あるいは努力と練習によって、より 光る要素のあるものをいう。そういう一芸を子どもの中に見つけたら、思い切り時間とお金をか ける。この「思い切りのよさ」が、子どもの一芸を伸ばす。 
           さらにその一芸が、子どもの天職になることもある。ある男の子(高校生)は、ほとんど学校 
          へ行かなかった。毎日、近くの公園でゴルフばかりしていた。しかし10年後、会ってみると、彼 はゴルフのプロコーチになっていた。当時私は40歳前後だったが、そのときすでに、私の年収 の何倍ものお金を稼いでいた。同じように中学時代、手芸ばかりしている女の子がいた。学校 ではほとんど目立たなかったが、今、市内の中心部で、大きなブテイックの店を構えている。一 芸には、そういう意味も含まれる。 
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          ●過関心は百害のもと 
          
           ある朝、一人の母親から電話がかかってきた。そしてものすごい剣幕でこう言った。いわく、 
          「学校の席替えをするときのこと。先生が、『好きな子どうし並んでいい』と言ったが、(私の子ど ものように)友だちのいない子どもはどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮が足り ない。こういうことは許せない。先生、一緒に学校へ抗議に行ってくれないか」と。 
          その子どもには、チックもあった。軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だ 
          が、そういうことはこの母親にはわかっていない。もし問題があるとするなら、むしろ母親のほう だ。こんなこともあった。 
           私はときどき、席を離れてフラフラ歩いている子どもにこう言う。「おしりにウンチがついてい 
          るなら、歩いていていい」と。しかしこの一言が、父親を激怒させた。ある夜、猛烈な抗議の電 話がかかってきた。いわく、「おしりのウンチのことで、子どもに恥をかかせるとは、どういうこと だ!」と。その子ども(小3男児)は、たまたま学校で、「ウンチもらし」と呼ばれていた。小学2 年生のとき、学校でウンチをもらし、大騒ぎになったことがある。もちろん私はそれを知らなか った。 
           しかし問題は、席替えでも、ウンチでもない。問題は、なぜ子どもに友だちがいないかというこ 
          と。さらにはなぜ、小学2年生のときにそれをもらしたかということだ。さらにこうした子どもどう しのトラブルは、まさに日常茶飯事。教える側にしても、いちいちそんなことに神経を払ってい たら、授業そのものが成りたたなくなる。子どもたちも、息がつまるだろう。教育は『まじめ7 割、いいかげんさ3割』である。子どもは、この「いいかげんさ」の部分で、息を抜き、自分を伸 ばす。ギスギスは、何かにつけてよくない。 
           親が教育に熱心になるのは、それはしかたないことだ。しかし度を越した過関心は、子どもを 
          つぶす。人間関係も破壊する。もっと言えば、子どもというのは、ある意味でキズまるけになり ながら成長する。キズをつくことを恐れてはいけないし、子ども自身がそれを自分で解決しよう としているなら、親はそれをそっと見守るべきだ。へたな口出しは、かえって子どもの成長をさ またげる。 
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          ●子どもの心を大切に 
          
           子どもの心を大切にするということは、無理をしないということ。たとえば神経症にせよ恐怖 
          症にせよ、さらにはチック、怠学(なまけ)や不登校など、心の問題をどこかに感じたら、決して 無理をしてはいけない。中には、「気はもちようだ」「わがままだ」と決めつけて、無理をする人 がいる。さらに無理をしないことを、甘やかしと誤解している人がいる。 
          しかし子どもの心は、無理をすればするほど、こじれる。そしてその分だけ、立ちなおりが遅れ 
          る。しかし親というのは、それがわからない。結局は行きつくところまで行って、はじめて気がつ く。その途中で私のようなものがアドバイスしても、ムダ。「あなた本当のところがわかっていな い」とか、「うちの子どものことは私が一番よく知っている」と言ってはねのけてしまう。あとはこ の繰り返し。 
           子どもというのは、一度悪循環に入ると、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返 
          しながら、悪くなる。そのとき親が何かをすれば、すればするほど裏目、裏目に出てくる。もしそ んな悪循環を心のどこかで感じたら、鉄則はただ一つ。あきらめる。そしてその状態を受け入 れ、それ以上悪くしないことだけを考えて、現状維持をはかる。 
          よくある例が、子どもの非行。子どもの非行は、ある日突然、始まる。それは軽い盗みや、夜 
          遊びであったりする。しかしこの段階で、子どもの心に静かに耳を傾ける人はまずいない。た いていの親は強く叱ったり、体罰を加えたりする。しかしこうした一方的な行為は、症状をます ます悪化させる。万引きから恐喝、外泊から家出へと進んでいく。 
           子どもというのは、親の期待を一枚ずつはぎとりながら成長していく。また巣立ちも、決して美 
          しいものばかりではない。中には、「バカヤロー」と悪態をついて巣立ちしていく子どもいる。し かし巣立ちは巣立ち。要はそれを受け入れること。それがわからなければ、あなた自身を振り 返ってみればよい。あなたは親の期待にじゅうぶん答えながらおとなになっただろうか。あるい はあなたの巣立ちは、美しく、すばらしいものであっただろうか。そうでないなら、あまり子ども には期待しないこと。昔からこう言うではないか。 
          『ウリのつるにナスビはならぬ』と。失礼な言い方かもしれないが、子育てというのは、もともと 
          そういうもの。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(13) 
          
          ●自分を知る 
          
           多動児(AD・HD児)と呼ばれる子どもがいる。診断基準のひな形が、2001年の春にできた 
          ばかりである。現在の今も、その指導法については、思考錯誤の段階と考えてよい。それはと もかくも、実際には、このタイプの子どもは、20名のうち約1人の割でいる。が、問題はこのこ とではない。 
           D君(中2)の男の子がいた。私はその子を、幼稚園の年中児のときから、中学3年まで教え 
          た。多動児だった。そのため、本当に苦労した。親も苦労した。学校の先生も苦労した。どう苦 労したかは、教えたものでないとわからないだろう。 
          が、その子も、小学高学年になるころには落ち着きはじめ、中学生になるころには、騒々しさ 
          は残ったものの、まあ、ふつうの子どもという感じになった。そのD君にこう話しかけたときのこ と。私がそれとなく、「君は、小学生のころ、腕白で、みんなに迷惑をかけたのだが、それを覚 えているか」と聞くと、D君は、こう言った。「いいや、ぼくは何もしてない。みんな、ぼくのことを 目の敵にして、ぼくばかり叱った」と。そこであれこれ遠まわしな言い方で、D君自身に問題が なかったのかを聞いてみたが、D君は「なかった。ぼくはふつうだった」と。 
           私はD君を前にして、考え込んでしまった。D君はまるで自分のことがわかっていなかった。 
          おそらく彼が教職の道を選んで、教師になって、多動児について学んでも、「自分がそうだっ た」とは決して思わないだろう。いや、私が考え込んだのは、実のところD君のことではない。自 分のことだ。私は私のことは一番よく知っていると思っている。しかしそう思っているのは、自分 だけ。実のところ、自分のことはまったくわかっていないのでは……、と。 
           自分を知るということは、本当にむずかしい。方法がないわけではないが、それについてはま 
          た別の機会に書く。ともかくも、私はD君を前にして、本当に考え込んでしまった。「人間という のは、そういうものか」と。D君はそれを私に教えてくれた。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(14) 
          
          ●音読と黙読は違う 
          
           小学3年生くらいになると、読解力のあるなしが、はっきりしてくる。たとえば算数の文章題。 
          読解力のない子どもは、問題を読みきれない、読みまちがえる、など。あちこちの数字を集め て、めちゃめちゃな式を書いたりする。親は「どうしてうちの子は、問題をよく読まないのでしょ う」とか、「そそっかしくて困ります」とか言うが、ことはそんな簡単なことではない。 
           話は少しそれるが、音読と、黙読とでは、脳の中でも使う部分がまったく違う。音読は、一度 
          自分の声で文章を読み、その音を聞いて文の内容を理解する。つまり左脳がそれをつかさど る。一方黙読は文字を図形として認識し、その図形の意味を判断して文の内容を理解する。 
          つまり右脳がそれをつかさどる。音読ができるから黙読ができるとは限らない。ちなみに文字 
          を覚えたての幼児は、黙読では文を読むことができない。そんなわけで子どもが文字をある程 度読むことができるようになったら、黙読の練習をさせるとよい。方法は、「口をとじて本を読ん でごらん」と指示する。 
          ある研究団体の調査によれば、黙読にすると、小学校の低学年児で、約30%程度、読解力 
          が落ちることが」わかっている(国立国語研究所)。 
           ではどうするか。もしあなたの子どもの読解力が心配なら、方法は二つある。一つは、あえて 
          音読をさせてみる。たとえば先の文章題でも、「声を出して問題を読んでごらん」と言って、問題 を声を出させて読ませてみる。読んだ段階で、たいていの子どもは、「わかった!」と言って、 問題を解くことができる。 
          が、それでも効果があまりないときは、こうする。問題そのものを、別の紙に書き写させる。子 
          どもは文字(問題)を一度文字で書くことによって、文字の内容を「音」ではなく、「形」として認識 するようになる。少し時間はかかるが、黙読が苦手な子どもには、もっとも効果的な方法であ る。 
           読解力は、すべての科目に影響を与える。文章の読解力を訓練しただけで、国語はもちろん 
          のこと、算数や理科、社会の成績があがったということはよくある。決して軽くみてはいけない。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(15) 
          
          ●計算力は早数えで 
          
           計算力は、早数えで決まる。たとえば子ども(幼児)の前で手をパンパンと叩いてみせてほし 
          い。早く数えることができる子どもは、5秒前後の間に、20回前後の音を数えることができる。 そうでない子どもは、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」と数えるため、どうしても遅くなる。 
           そこで子どもが1〜30前後まで数えられるようになったら、早数えの練習をするとよい。最初 
          は、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」でも、少し練習すると、「イチ、ニ、サン……」になり、さらに 「イ、ニ、サ……」となる。さらに練習すると、ものを「ピッ、ピッ、ピッ……」と、信号にかえて数え ることができるようになる。これを数の信号化という。 
          こうなると、5秒足らずの間に、20個くらいのものを、瞬時に数えることができるようになる。そ 
          してこの力が、やがて、計算力の基礎となる。たとえば、「3+2」というとき、頭の中で、「ピッ、 ピッ、ピッ、と、ピッ、ピッで、5」と計算するなど。 
           要するに計算力は、訓練でいくらでも早くなるということ。言いかえると、もし「うちの子は計算 
          が遅い」と感じたら、計算ドリルをさせるよりも先に、一度、早数えの練習をしてみるとよい。た だし一言。 
           計算力と算数の力は別物である。よく誤解されるが、計算力があるからといって、算数の力 
          があるということにはならない。たとえば小学1年生でも、神業にように早く、難しい足し算や引 き算をする子どもがいる。親は「うちの子は頭がいい」と喜ぶが、(喜んで悪いというのではな い)、それは少し待ってほしい。 
          計算力は訓練で伸びるが、算数の力を伸ばすのはそんな簡単なことではない。子どもというの 
          は、「取った、取られた」「ふえた、減った」「多い、少ない」「得をした、損をした」という日常的な 経験を通して、算数の力を養う。またそういう刺激が、子どもをして、算数ができる子どもにす る。そういう日常的な経験も忘れないように! 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(16) 
          
          ●はだし教育を大切に 
          
           以前、動きがたいへんすばやい子ども(年長男児)がいた。ドッチボールをしても、いつも最 
          後まで残っていた。そこで母親に秘訣を聞くと、こう話してくれた。「乳幼児期は、ほとんど、は だしで過ごしました。雨の日でもはだしだったので、近所の人に白い目で見られたこともありま す」と。その子どもは2歳になるときには、うしろ向きにスキップして走ることができたそうだ。 
           子どもの敏捷(びんしょう)さを養うには、はだしがよい。子どもというのは足の裏からの刺激 
          を受けて、その敏捷性を養う。反対に分厚い底の靴に、分厚い靴下をはいて、どうして敏捷性 を養うことができるというのか。 
          一つの目安として、階段をおりる様子を観察してみればよい。敏捷な子どもは、スタスタとリズ 
          ミカルに階段をおりることができる。そうでない子どもは、手すりにつかまって1段ずつ、恐る恐 るおりる。階段をリズムカルにおりられない子どもは、年中児で10人に1人はいる。あるいは 傾いた土地や、川原の石ころの間を歩かせてみればよい。 
          敏捷性のある子どもは、ピョンピョンと平気で飛び跳ねるようにして歩くことができる。そうでな 
          い子どもはそうでない。もしあなたの子どもの敏捷性が心配なら、今日からでも遅くないから、 はだしにするとよい。あるいはよくころぶ(※)とか、動作がどこか遅いというようなときも、はだ しにするとよい。(分厚い靴や分厚い靴下をはきなれた子どもは、はだしをいやがるが、そうで あるならなおさら、はだしにしてみる。) 
           この敏捷性はあらゆる運動の基本になる。言い換えると、もともと敏捷さがあまりない子ども 
          に、あれこれ運動をさせてもあまり上達は望めない。 
          (※……ころびやすい子どものばあい、敏捷性だけでは説明がつかないときもある。そういうと 
          きは歩く様子をまうしろから観察してみる。X脚になって足が互いにからむようであれば、一度 小児科のドクターに相談してみるとよい。) 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(17) 
          
          ●文字の前に運筆練習を 
          
           文字を書くようになったら、(あるいはその少し前から)、子どもには運筆練習をさせるとよ 
          い。一時期、幼児教育の世界では、ぬり絵を嫌う時期もあったが、今改めてぬり絵のよい点が 見なおされている。子どもはぬり絵をすることで、運筆能力を発達させる。 
          ためしにあなたの子どもに丸(○)を描かせてみるとよい。運筆能力の発達した子どもは、きれ 
          いな(スムーズな)丸を描く。そうでない子どもは多角形に近い、ぎこちない丸を描く。言うまでも なく、文字は複雑な曲線が組み合わさってできている。その曲線を描く力が、運筆能力というこ とになる。またぬり絵でも、運筆能力の発達している子どもは、小さな四角や形を、縦線、横 線、あるいは曲線をうまく使ってぬりつぶすことができる。そうでない子どもは、横線なら横線だ けで、無造作なぬり方をする。 
           ところでクレヨンと鉛筆のもち方は基本的に違う。クレヨンは、親指、人差し指、それに中指で 
          はさむようにしてもつ。鉛筆は、中指の横腹に鉛筆を置き、親指と人差し指で支えてもつ。鉛筆 をもつようになったら、一度、正しい(?)もち方を練習するとよい。(とくに正しいもち方というの はないが、あまり変則的なもち方をしていると、長く使ったとき、手がどうしても疲れやすくな る。)ちなみに年長児で約50%が鉛筆を正しく(?)もつことができる。残りの30%はクレヨンを もつようにして鉛筆をもつ。残りの20%は、それぞれたいへん変則的な方法で鉛筆をもつ。 
           さらに一言。一度あなた自身が鉛筆をもって線を描いてみてほしい。そのとき指や手、さらに 
          は腕がどのように変化するかを観察してみてほしい。たとえば横線は手首の運動だけで描くこ とができる。しかし縦線は、指と手が複雑に連動しあってはじめて描くことができる。さらに曲線 は、もっと複雑な動きが必要となる。何でもないことのように思う人もいるかもしれないが、幼児 にとって曲線や円を描くことはたいへんな作業なのだ。 
           「どうもうちの子は文字がへただ」と感じたら、紙と鉛筆をいつも子どものそばに置いてあげ、 
          自由に絵を描かせるようにするとよい。ぬり絵が効果的なことは、ここに書いたとおりである。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(18) 
          
          ●権威主義は断絶のはじまり 
          
           「私は親だ」というのが、親意識。この親意識が強いと、子どもはどうしても親の前でいい子ぶ 
          るようになる。もう少しわかりやすく言うと、仮面をかぶるようになる。その仮面をかぶった分だ け、子どもの心は親から離れる。 
           親子の間に亀裂を入れるものに、3つある。リズムの乱れと相互不信、それに価値観のズ 
          レ。このうち価値観のズレの一つが、ここでいう親の権威主義である。もともと権威というの は、問答無用式に相手を従わせるための道具と考えてよい。「男が上で女が下」「夫が上で妻 が下」「親が上で子が下」と。もっとも子どもも同じように権威主義的なものの考え方をするよう になれば、それはそれで親子関係はうまくいくかもしれない。が、これからは権威がものを言う 世界ではない。またそういう時代であってはならない。 
           そこであなた(あなたの夫)が権威主義者かどうか見分ける簡単な方法がある。それには電 
          話のかけ方をみればよい。権威主義的なものの考え方を日常的にしている人は、無意識のう ちにも人間の上下関係を判断するため、相手によって電話のかけ方がまるで違う。地位や肩 書きのある人には必要以上にペコペコし、自分より「下」と思われる人には、別人のように尊大 ぶったりいばってみせたりする。 
          このタイプの人は、先輩、後輩意識が強く、またプライドも強い。そのためそれを無視したり、 
          それに反したことをする人を、無礼だとか、失敬だとか言って非難する。もしあなたがそうなら、 一度あなたの価値観を、それが本当に正しいものかどうかを疑ってみたらよい。それはあなた のためというより、あなたの子どものためと言ったほうがよいかもしれない。 
           日本人は権威主義的なものの考え方を好む民族である。その典型的な例が、あの「水戸黄 
          門」である。側近のものが三つ葉葵の紋章を見せ、「控えおろう!」と一喝すると、周囲のもの が皆頭をさげる。ああいうシーン見ると、たいていの日本人は「痛快!」と思う。しかしそれが痛 快と思う人ほど、あぶない。このタイプの人は心のどこかでそういう権威にあこがれを抱いてい る人とみてよい。ご注意! 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(19) 
          
          ●頭をよくする方法 
          
           もう一五年ほど前のことだが、アメリカの「サイエンス」という雑誌に、こんな論文が載った。 
          「ガムをかむと頭がよくなる」と。この世界ではもっとも権威ある雑誌である。で、その話を母親 たちの席で話すと、「では……」と言って、それを実行する人が何人か出た。 
          で、その結果だが、たとえばN君は、数年のうちに本当に頭がよくなってしまった。I君もそうだ 
          った。これらの子どもは、年中児のときからかみ始め、小学1、2年になるころには、はっきりと わかるほどその効果が表れてきた。N君もI君も、幼稚園児のときは、ほとんど目立たない子ど もだった。どこかボーッとしていて、反応も鈍かった。が、小学2年生のころには、10人中、1, 2番を争うほど、積極的な子どもになっていた。 
           で、それからもこの方法を、私は何10人(あるいはそれ以上)もの子どもに試してきたが、と 
          くに次のような子どもに効果がある。どこか知恵の発育が遅れがちで、ぼんやりしているタイプ の子ども。集中力がなく、とくに学習になると、ぼんやりとしてしまう子どもなど。 
           ガムをかむことによって、あごの運動が脳神経によい刺激を与えるらしい。が、それだけでは 
          ない。この時期まだ昼寝グセが残っている子どもは多い。子どもによっては、昼ごろになると、 急速に集中力をなくしてしまい、ぼんやりとしてしまうことがある。が、ガムをかむことによって、 それをなおすことができる。5,6歳になってもまだ昼寝グセが残っているようなら、一度ガムを かませてみるとよい。 
           なおガムといっても、菓子ガムは避ける。また1つのガムを最低でも30分はかむように指導 
          する。とっかえひっかえガムをかむ子どもがいるが、今度は甘味料のとり過ぎを心配しなけれ ばならない。息を大きく吸い込んだようなとき、大きなガムをのどにひっかけてしまうようなこと もある。走ったり、騒いでいるようなときにはガムをかませないなどの指導も大切である。もち ろんかんだガムは、紙に包んでゴミ箱に入れるというマナーも守らせるようにしたい。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(20) 
          
          ●子どもに子どもの育て方を 
          
           子どもに子どもの育て方、つまりあなたから見れば孫の育て方を教えるのが子育て。「あなた 
          がおとなになり親になったら、こういうふうに子どもを育てるのですよ」「こういうふうに子どもを 叱るのですよ」と。つまり子どもに子育ての見本を見せる。見せるだけでは足りない。しっかりと 体にしみこませておく。 
           10年ほど前だが、厚生省が発表した報告書に、こんなのがあった。「子育ては本能ではな 
          く、学習である」と。つまり人間というのは(ほかの高度な動物もそうだが)、自分が親に育てら れたという経験があってはじめて、自分が親になったとき子育てができる。 
          たとえば一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。人間はなおさら 
          で、つまり子育てというのは、本能でできるのではなく、「学習」によってできるようになる。が、 それだけではない。もしあなたがあなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしい と願っているなら(当然だが……)、今あなたはここで、心豊かで温かい家庭とはどういうもの かを子どもに見せておかねばならない。あるいはそういう環境で子どもを包んであげる。さらに 「父親とはこういうものです」「母親とはこういうものだ」と、その見本を見せておく。そういう経験 が体にしみこんでいて子どもははじめて、自分が親になったとき、自然な形で子育てができる ようになる。 
           そこで問題はあなた自身はどうだったかということ。あなたは心豊かで温かい家庭で育てら 
          れただろうか。もしそうならそれでよし。しかしそうでないなら、一度あなたの子育てを見なおし てみたほうがよい。あなたの子育てはどこかぎこちないはずである。 
          たとえば極端に甘い親、極端にきびしい親、あるいは家庭をかえりみない親というのは、たい 
          てい不幸にして不幸な家庭に育った人とみてよい。つまりしっかりとした「親像」が入っていな い。が、問題はそのことではなく、そのぎこちなさが、親子関係をゆがめ、さらにそのぎこちなさ を次の世代に伝えてしまうこともある。しかしあなた自身がその「過去」に気づくだけで、それを 防ぐことができる。まずいのはその「過去」に気づくことなく、それにいつまでも振り回されるこ と。そしてそのぎこちなさを次の世代に伝えてしまうことである。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(21) 
          
          ●教えるより好きにさせる 
          
           子どもに何かを教えるときは、「教えよう」という気持ちはおさえて、「好きにさせる」ことを考え 
          てする。あるいは「覚えたか」ではなく、「楽しんだか」を考えてする。これを動機づけというが、 その動機づけがうまくいくと、あとは子ども自身の力で伸びる。要はそういう力をどのように引き 出すかということ。 
          たとえば文字学習についても、文字そのものを教える前に、文字は楽しい、おもしろいというこ 
          とを子どもにわからせる。まずいのは、たとえばトメ、ハネ、ハライ、さらには書き順や書体にこ だわり、子どもから学習意欲を奪ってしまうこと。私も少し前、テニススクールに通ったが、そこ のコーチは、スタイルばかりにこだわっていた。(私はストレス解消のため、思いっきりボールを 叩きたかっただけだが……。)おかげで私はすぐやる気をなくしてしまった。 
           つぎに大切なことは、動機づけをしたら、あとは時の流れを待つ。イギリスの格言にも、「馬を 
          水場へ連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」というのがある。最終的に「す る、しない」は、子ども自身が決めるということ。 
          ……と書くと、「それでは遅れてしまう。まにあわない」という人がいる。しかしそれが、子どもの 
          能力。よく親は「うちの子はやればできるはず」と言うが、「やる、やらない」も能力のうち。「や ればできるはず」と思ったら、「やってここまで」と思い、あきらめる。このあきらめが親子の間 に風をとおす。親があせればあせるほど、その分だけ、子どもの伸びは鈍化する。いわんや子 どもを前にしてイライラしたら、子どもの勉強からは手を引く。 
           好きにさせるということは、子どもに楽しませること。また幼児期や小学校の低学年時には、 
          あまり勉強を意識せず、「30分すわって、それらしきことを5分もすればじょうでき」と思うこと。 またワークにしてもドリルにしても、半分はお絵かきになってもよい。勉強といっても、何も作法 があるわけではない。床に寝そべってするのもよし、ソファに座ってするのもよし。そのうち子ど も自身がもっとも能率のよい方法をさがしだす。そういうおおらかさが子どもを伸ばす。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(22) 
          
          ●笑えば伸びる 
          
           子どもの心を開放させるもっとも効果的な方法は、笑わせること。何かおもしろいことがあっ 
          たとき、大声でゲラゲラ笑うことができる子どもに、心のゆがんだ子どもはまずいない。しかし 今、大声で笑えない子どもがふえている。年中児で10人のうち、1〜2人はいる。皆が笑って いるようなときでも、顔をそむけてクックッと苦しそうに笑うなど。親の威圧的な過干渉、息の抜 けない過関心が日常化すると、子どもの心は萎縮する。 
           「ゆがむ」ということは、その子どもであって、その子どもでない部分があることをいう。たとえ 
          ば分離不安の子どもがいる。親の姿が見えるうちは、静かで穏やかな様子を見せるが、親の 姿が見えなくなったとたん、ギャーッとものすごい声をはりあげて、親のあとを追いかけたりす る。 
          そういう子どもを観察してみると、その子ども自身の「意思」というよりは、もっと別の「力」によ 
          ってそう動かされているのがわかる。それがここでいう「その子どもであって、その子どもでない 部分」ということになる。そういう子どもの心を表す言葉としては、日本語にはつぎのようなもの がある。ねたむ、ひねくれる、つっぱる、いじける、こだわる、すねるなど。そういった症状が見 られたら、子どもの心はどこかゆがんでいるとみてよい。 
           私は幼児を教えるようになってもう40年近くになる。そういう経験の中で、私はいつも子ども 
          を笑わせることに心がけている。だいたい1回の学習で、50分ほど教えるが、その50分間、 ずっと笑わせつづけるということもある。とくに心のどこかに何らかのキズをもっている子どもに はこの方法は、たいへん有効である。軽い情緒障害なら、数か月でその症状が消えることも多 い。が、それだけではない。 
          子どもは笑うことにより、ものごとを前向きにとらえようとする。学習の動機づけには、たいへん 
          よい。英語の格言にも、「楽しく学ぶ子どもはよく学ぶ」というのがある。「楽しかった」という思 いが、子どもを伸ばす原動力になる。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(23) 
          
          ●ガツガツした子どもは生き残る 
          
           ガツガツすることに抵抗を感ずる人は多い。しかし日本はそのガツガツすることによって、こ 
          こまでの経済大国になった。もしここでガツガツすることをやめたら、日本はあっという間に、世 界の大波にのみこまれてしまうだろう。「スキあらば……」と日本をねらっている国はいくらでも ある。 
           しかし日本の子どもたちを見る限り、日本の将来はお先真っ暗。このままでは日本はアジア 
          でもごくふつうの国、あるいはそれ以下になってしまう。ロンドン大学名誉教授の故森嶋氏も、 「2050年には本当に日本はダメになってしまう」と警告している。 
           ……というのはマクロ的な見方だが、個人というミクロ単位でみても、同じことがいえる。これ 
          からの日本や世界で生きていくことができる子どもは、ガツガツした子どもである。ぬるま湯に どっぷりとつかり、のんきに過ごしている子どもには、未来はない。言いかえると、どうすればそ のガツガツした子どもを育てられるかということ。それがこれからの子どもをどう育てるかのヒ ントになる。そこで……。 
          (1)子どもにはぜいたくをさせない……子育ては質素を旨とする。与えるもの、着せるもの、食 
          べさせるもの、あらゆる面で質素にする。中には「高価なものを買い与えることが、親の愛のあ かし」と考えている人がいるが、これはとんでもない誤解である。 
          (2)子どもの言いなりにならない……結局は子どもの言いなりになってしまうという甘い環境 
          が、子どもをドラ息子(娘)にする。そのためにも、生活の場では、子どもを中心に置かない。い つも脇に置く。食事の献立でも休日の過ごし方でも、親は親で、親中心の生活を組み立てれば よい。 
          (3)子どもは使う……「子どもは使えば使うほどいい子になる」と心得る。使えば使うほど、子 
          どもは忍耐力を養い、生活力もそこから生まれる。「子どもに楽をさせることが親の愛のあか し」というのも誤解。使えば使うほど、他人の苦労もわかるようになり、その分だけ、子どもはや さしく思いやりのある子どもになる。 
          (4) 
          
           ガツガツする子どもを嫌う人も多いが、本来子どもというのは、ガツガツしているもの。またそ 
          れが子どものあるべき姿ということになる。今この日本では、どこかナヨナヨし、従順で、満足 げにおっとりしている子どもほど、「いい子」と見る風潮がある。しかしそういう子どもは、これか らの世界で生き残ることはできない。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(24) 
          
          ●許して忘れる 
          
           親が子どもに感ずる愛には3種類ある。本能的な愛(赤ちゃんをいとおしく思うような愛)、代 
          償的愛(親のエゴ、あるいは親の心のスキ間を埋めるための愛)、それに真の愛(子どもを一 人の人間と認めた相互信頼に基づく愛)である。 
          このうち問題なのは、代償的愛である。多くの親は、この代償的愛をもって、親の愛と誤解す 
          る。よい例が子どもの受験勉強に狂奔する親である。あるいは子どものテストの成績が悪いか らといって、子どもにわめき散らしている親である。このタイプの親は、「子どものため」を口に しながら、結局は自分のエゴのために子どもを利用しているだけ。それはちょうど年頃の男 が、自分の性欲や支配欲を満たすために女性を愛する(?)愛に似ている。あるいはストーカ ーの男が、相手の迷惑も顧みず、相手の女性を追いかけまわす愛に似ている。どこまでも自 分勝手で、どこまでもわがままな愛ということになる。 
           親の愛の深さは、どこまで子どもを許し、どこまで子どもを忘れるかで決まる。もともと「許して 
          忘れる」は、英語では、「フォ・ギブ & フォ・ゲッ」という。この「フォ・ギブ(許す)」という単語 は、「与える・ため」とも訳せる。「フォ・ゲッ(忘れる)」は、「得る・ため」とも訳せる。つまり許して 忘れるということは、子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れろという 意味になる。 
           もちろん許して忘れるといっても、子どもに好き勝手なことをさせろということではない。子ども 
          に言いなりになれということでもない。子どもを許して忘れるということは、どんなに子どもので きが悪くても、またどんな問題をかかえても、それを自分のこことして受け入れてしまうというこ と。つまりその度量の深さによって、親の愛の深さが決まる。 
           多くの親は「子どもを愛している」とは言うが、子どもを愛するということは、そんな簡単なこと 
          ではない。子どもを愛するということは、ある意味でつらくて苦しいこと。そのつらさや苦しみに 耐えてこそ、親は親であり、子どもを真に愛したことになる。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(25) 
          
          ●カボチャの頭 
          
           親子を断絶させるものに、三つある。価値観の違い、リズムの乱れ、それに相互不信。それ 
          はまたべつのとろで考えるとして、親子の断絶は、最初は小さなキレツで始まる。しかもたいて い親が気づかないところで始まる。そこでテスト。 
           あなたの子どもが学校から帰ってきたら、どこでどう心を休めるか、観察してみてほしい。そ 
          のときあなたのいる前で、あなたのことを気にしないで心を休めているようであれば、あなたと 子ども関係は良好とみてよい。 
          しかしもしあなたの子どもが、好んであなたのいないところで心を休めるとか、あなたの姿を見 
          たとたん、どこかへ逃げていくようであれば、あなたと子どもの関係はかなり悪化しているとみ てよい。今は小さなキレツかもしれないが、やがて断絶ということにもなりかねない。 
          ちなみに子ども(中学生)が、「心が休まる場所」としてあげたのは、(1)風呂の中、(2)トイレ 
          の中、それに(3)フトンの中(学外研・九八年報告)だそうだ。 
          それはそれとして、子どもが小さいときはともかくも、子どもが大きくなったら、家庭は、「しつけ 
          の場」から、「いこいの場」、あるいは「いやしの場」とならなければならない。子どもは学校で疲 れた心を、その家庭でいやす。よく子どもに何か問題が起きたりすると、「そら、学校が悪い」 「そら、先生が悪い」と言う人がいる。学校や先生に問題がないとは言わないが、しかし、もし 子どもが家庭でじゅうぶん心を休めることができたら、それらの問題のほとんどは、その家庭 の中で解決するはずである。そのためにも、つぎのことに注意する。 
          もし先のテストで、「好んであなたのいないところで心を休めるとか、あなたの姿を見たとたん、 
          どこかへ逃げていく」というのであれば、子どもが心を休めている様子を見せたら、何も言わな い、何も見ない、何も聞かない。できればあなたのほうがその場から遠ざかる。あれこれ気を つかうのもやめる。仮にだらしない様子を見せたとして、それは無視する。「家庭」というのは、 もともとそういうもの。そういう前提で、家庭のあり方を反省する。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(26) 
          
          ●逃げ場を大切に 
          
           どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。もちろん人間の子どもにもある。子どもがそ 
          の逃げ場へ逃げ込んだら、親はその逃げ場を荒らしてはいけない。子どもはその逃げ場に逃 げ込むことによって、体を休め、疲れた心をいやす。たいていは自分の部屋であったりする が、その逃げ場を荒らすと、子どもの情緒は不安定になる。ばあいによっては精神不安の遠 因ともなる。 
          あるいはその前の段階として、子どもはほかの場所に逃げ場を求めたり、最悪のばあいに 
          は、家出を繰り返すこともある。逃げ場がなくて、犬小屋に逃げた子どももいたし、近くの公園 の電話ボックスに逃げた子どももいた。またこのタイプの子どもの家出は、もてるものをすべて もって、一方向に家出するというと特徴がある。買い物バッグの中に、大根やタオル、ぬいぐる みのおもちゃや封筒をつめて家出した子どもがいた。(これに対して目的のある家出は、その 目的にかなったものをもって家を出るので、区別できる。) 
           子どもが逃げ場へ逃げたら、その中まで追いつめて、叱ったり説教してはいけない。子ども 
          が逃げ場へ逃げたら、子どものほうから出てくるまで待つ。そういう姿勢が子どもの心を守る。 が、中には、逃げ場どころか、子どものカバンの中や机の中、さらには戸棚や物入れの中まで 平気で調べる親がいる。仮に子どもがそれに納得したとしても、親はそういうことをしてはなら ない。こういう行為は子どもから、「私は私」という意識を奪う。 
           これに対して、親子の間に秘密はあってはいけないという意見もある。そういうときは反対の 
          立場で考えてみればよい。いつかあなたが老人になり、体が不自由になったとする。そういうと きあなたの子どもが、あなたの机の中やカバンの中を調べたとしたら、あなたはそれを許すだ ろうか。プライバシーを守るということは、そういうことをいう。秘密をつくるとかつくらないとかい う次元の話ではない。 
           むずかしい話はさておき、子どもの人格を尊重するためにも、子どもの逃げ場は神聖不可侵 
          の場所として大切にする。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(27) 
          
          ●友を責めるな 
          
           あなたの子どもが、あなたからみて好ましくない友だちとつきあい始めたときの鉄則がこれ。 
          「友を責めるな、行為を責めよ」。 
          イギリスの格言だが、たとえばどこかでタバコを吸ったとする。そういうときは、タバコは体に悪 
          いとか、タバコを吸うことは悪いことだと言っても、決して相手の子どもを責めてはいけない。名 前を出すのもいけない。この段階で、たとえば「D君は悪い子だから、つきあってはダメ」などと 言うと、それは子どもに、「友を選ぶか、親を選ぶか」の、二者択一を迫るようなもの。あなたの 子どもがあなた(親)を選べばよいが、そうでなければあなたと子どもの間に大きなキレツを入 れることになる。あとは子ども自身が自分で考え、その「好ましくない友だち」から遠ざかるのを 待つ。 
          こういうケースでは、よく親は、「うちの子は悪くない。相手が悪い」と決めてかかることが多い 
          が、あなたの子どもがその中心格になっていると考えて対処する。が、それでもうまくいかない ときがある。そういうときは、つぎの手を使う。 
           子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。そこであ 
          なたは子どもの前で、相手の子どもをほめる。○○君は、おもしろい子ね。ユーモアがあって、 お母さんは大好きよ」とか。あなたのそういう言葉は必ず相手の子どもに伝わる。 
          その時点で、相手の子どもは、あなたの期待にこたえようとし、その結果、あなたの子どもをよ 
          い方向に導いてくれる。いうなればあなたはあなたの子どもを通して、相手の子どもを遠隔操 作するわけだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。 
           ほとんどの親は、子どもが非行に向かうようになると、子どもを叱ってなおそうとする。暴力や 
          威圧を加える親もいる。しかし一度こわれた子どもの心は、そんなに簡単にはなおらない。もし そういう状態になったら、今より症状を悪化させないことだけを考えながら、一年単位で子ども の様子をみる。あせって何かをすればするほど、逆効果になるので注意する。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(28) 
          
          ●相手を喜ばす 
          
           子どもにとって(おとなもどうだが)、やさしい人というのは、思いやりのある人のことをいう。そ 
          の思いやりのある子どもに育てるコツがこれ、「相手を喜ばす」。 
           たとえばスーパーなどでものを買い与えるときでも、直接子どもに買い与えるのではなく、「こ 
          れがあるとパパが喜ぶわね」とか、「あとでお姉さんに半分分けてあげてね。お姉さんは喜ぶ わよ」とか言うなど。昔、幼稚園にこんな子ども(年長男児)がいた。見るといつも三輪車にだれ かを乗せ、それをうしろから押していた。そこで私が、「たまにはだれかに押してもらったら?」 と声をかけると、その子どもはこう言った。「先生、ぼくはこのほうが楽しい」と。そういう子ども をやさしい子どもという。 
           よく誤解されるが、柔和でおとなしい子どもをやさしい子どもとは言わない。たとえばブランコ 
          を横取りされても、ニコニコ笑ってそのまま明け渡してしまうなど。むしろこのタイプの子どもほ ど、表情とは裏腹のところでストレスをためやすく、その分、心をゆがめやすい。教える側から 見ると、いわゆる「何を考えているかわからない子」といった感じになる。 
           子どものやさしさは、心豊かな環境で、はぐくまれる。そのためにも、乳幼児期にはつぎの三 
          つを避ける。(1)闘争心、(2)嫉妬心、(3)不満と不安。攻撃的な闘争心は、子どもの動物的 な本能を刺激する。ばあいによっては、善悪の判断ができなくなり、性格そのものが、凶暴化 することもある。 
          嫉妬心はえてして情緒不安の原因となる。赤ちゃんがえりに見られるように、本能的な部分で 
          子どもの心をゆがめることもある。 
          またこの時期、不満や不安は、子どもの性格をゆがめる。攻撃的になったり、反対にものに固 
          着したり執着したりする。さらに神経症や情緒不安、さらには精神不安の原因になることもあ る。要するにこの時期は、心静かで穏やかな環境を大切にする。 
           やさしさというのは、作って作れるものではない。家庭環境の中から、自然に生まれてくるも 
          のである。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(29) 
          
          ●ベッドタイムゲーム 
          
           子どもは床についてから眠るまで、毎晩、同じことを繰り返す習性がある。これを英語では 
          「ベッドタイムゲーム」(日本語では、「就眠儀式」)という。このベッドタイムゲームのしつけが悪 いと、子どもはなかなか寝つかなくなるばかりでなく、ばあいによっては情緒そのものが不安定 になることもある。もしあなたの子どもが寝る前になると決まって、ぐずったり(マイナス型)、暴 れたりするようであれば(プラス型)、このしつけの失敗を疑ってみる。 
          方法としては、(1)毎晩同じことを繰り返すようにする。(2)心安らかな状態を大切にし、就寝 
          前少なくとも一時間はテレビやゲームなど、はげしい刺激は避ける。(3)ベッドのまわりにぬい ぐるみなどを置いてあげ、心が暖まる雰囲気をつくるなどがある。毎晩本を読んであげるとか、 静かな音楽を聞かせるというのもよい。 
          まずいのは子どもを子ども部屋に閉じ込め、強引に電気を消してしまうような行為。こうした乱 
          暴な行為が繰り返されると、子どもは眠ることそのものに恐怖心を抱くようになる。 
          ところで今、年長児(満六歳児)でも、5人のうち3人が、「ほとんど毎朝、こわい夢をみる」こと 
          がわかっている(2001年・筆者調査)。「どんな夢?」と聞くと、「ワニに追いかけられる夢」「暗 い穴にいる夢」「怪獣の夢」という答が返ってきた。子どもの世界がどこか不安定になっている と考えてよい。 
          ちなみに年中児で睡眠時間(眠ってから起きるまでのネット時間)は10時間15分、年長児で1 
          0時間(筆者調査)。子どもが小学生になると、睡眠時間はぐんと短くなるが、それでも最低九 時間半を確保する。睡眠不足が知能の発育に影響を与えるというデータはないが、しかし睡眠 不足が続くと集中力が弱くなる。あるいは突発的に興奮することはあっても、すぐ潮が引くよう にぼんやりとしてしまう。園や学校などでの学習面で影響が出てくる。なお年中児になっても 「昼寝グセ」が残っているようなら、その時間ガムをかかせるという方法でなおす。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(30) 
          
          ●じゅうぶんな睡眠時間を 
          
           目をさましてから起きあがるまでの時間には、特別の意味がある。この時間、人間の心はも 
          っとも静かな「時」を迎える。雑念や俗念、不安や心配、さらには恐怖や妄想から解放される。 つまりこの時間、自分の「原点」をそこで見つめることができる。もっと言えば、その人がもっと もその人らしくなる……。 
           パスカルは『思考が人間の偉大さをなす』(パンセ)と書いている。つまり考えるから人間は人 
          間である、と。言いかえると、考えるかどうかで、その人の「質」が決まる。知識や知恵ではな い。技術や肩書きでもない。反対に考えない人間がどうなるか。その例というわけではないが、 深夜のバラエティ番組に出てくる若者たちを見ればそれがわかる。実に「軽い」。軽すぎて、「こ れが同じ人間か」とさえ思うときがある。自ら考える習慣のない人間は、そうなる。 
           子どもに考えさせる習慣を身につけさせるもっともよい方法は、子どもがひとり、静かに自分 
          の時を過ごせるような時間と場所を用意することである。総じてみれば日本人は、集団教育の し過ぎ(……され過ぎ)。一人で静かに考えるという習慣そのものもないし、その価値を認めな い。子どもが机に向かってひとりぼんやりしていたとすると、親や先生は、「何、しているん だ!」と、それを叱る。しかし大切なことは、「自分で考えること」だ。子どもがあれこれ自分で考 える様子を見せたら、そっとしておいてあげる。 
           で、その一つの方法というわけではないが、子どもが目をさましてから、起きあがるまでの時 
          間を大切にする。そういう意味でも、静かな目覚めを大切にする。またそのためにも、睡眠時 間はたっぷりととる。まずいのは、「もう起きなさい!」と、まだ眠気まなこの子どもを、床の中 から引きずり出すような行為。子どもが静かにものを考えることができる、せっかくの時間その ものを奪ってしまう。 
           前回と今回は、子どもの睡眠について考えてみたが、もう少し子どもの睡眠には、親は慎重 
          であってもよいのではないか。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(31) 
          
          ●子どもを自立させる 
          
           子育ての目標は、子どもを自立させること。その「自立」には二つの意味がある。子ども自身 
          の自立と、親の自立である。依存心というのは相互的なもので、子どもに依存心をもたせるこ とに無頓着な親は、一方で、自分自身もだれかに依存したいという潜在的な願望をもっている と考えてよい。つまり子どもを自立させたいと思ったら、親もまた自立しなければならない。こん な親(60歳女性)がいた。 
           会うと私にこう言った。「先生、息子なんて、育てるもんじゃないですね。息子は横浜の嫁に取 
          られてしまいました」と。そしてさらに顔をしかめて、「親なんてさみしいもんですわ」と。その親 は、息子が結婚して、横浜に住んでいることを、「取られた」というのだ。 
           こうした親は、親意識が強く、その強い分だけ、子どもを「モノ」と見る傾向が強い。そして自 
          分にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、よい子とし、親に反発する独立心の旺盛 な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。こうした親の意識の背景にあるのが、依存心ということにな る。もう少しわかりやすい言葉でいうなら、「甘え」ということになる。 
           子育ての目標は、子どもを自立させること。「あなたの人生だから、思う存分、あなたの人生 
          を生きなさい。たった一度しかない人生だから、思いっきり大空を飛びなさい。親孝行……? そんなこと考えなくてもいい」と、一度は子どもの背中をたたいてあげる。それでこそ親は親とし ての義務を果たしたことになる。もちろんそのあと子どもが自分で考えて、親のめんどうをみる というのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。 
           日本人は、国際的にみても、互いの依存心が強い国民である。長く続いた封建時代という時 
          代が、こういう民族性をつくったとも言える。どこかの国に移住しても、すぐ日本人どうしが集ま り、そこにリトル東京(日本人街)をつくったりする。親子関係もそうで、互いに甘え、甘えられる 親子ほど、よい親子と評価する。 
          しかし依存心が強ければ強いほど、その人から「私」を奪う。しかしこれは、これからの日本人 
          の生き方ではない。少なくとも、こうした生き方は、世界ではもう通用しない。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(32) 
          
          ●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け 
          
           子どもにより高価なものを買ってあげるのが、親の愛だと錯覚している人がいる。あるいは 
          「高価なものを買ってあげたから、子どもとのきずなは強くなった」と考える人がいる。親は子ど もはそれで感謝するだろうと思ってそうする。あるいはそれで子どもの心をつかんだと考える。 しかしこれは誤解。 
          あるいはかえって逆効果。先日も一人の祖母が、孫(小4女児)のために、数万円もするような 
          服を買ってあげているところがテレビで紹介されていた。レポーターが、「(そんな高価なも の)、いいんですか?」と聞くと、その女性は、「いいんです、いいんです。かわいい孫のことで すから」と言っていた。が、こんな愚かなこと(失礼!)をするから、子どもはドラ息子、ドラ娘に なる。金銭感覚そのものがマヒする。たとえ一時的に感謝することはあっても、その感謝は決し て長続きしない。 
           イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのがある。 
          子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だ が、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動車のコマーシャル にもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太 くする。 
           日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、そして 
          オーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリアへ行ったとき、 友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友情の一里塚(マイ ル・ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、 基本的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映される。 
           さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫にどんな 
          プレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿を振り返ってみてほしい。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(33) 
          
          ●先生の悪口は言わない 
          
           教育もつきつめれば人間関係で決まる。教師と生徒との良好な人間関係が、よい教育の基 
          本。この基本なくして、よい教育は望めない。そこで大原則。 
          「子どもの前では、先生の悪口は言わない」。先生を批判したり、あるいは子どもが先生の悪 
          口を言ったときも、それに相槌(づち)を打ってはいけない。打てば打ったで、今度は、「あなた が言った言葉」として、それは先生の耳に入る。必ず、入る。子どもというのはそういうもので、 先生の前では決して隠しごとができない。親よりも、園や学校の先生と接している時間のほう が長い。また先生も、この種の会話には敏感に反応する。 
           一方、先生もまた生身の人間。中には聖人のように思っている人もいるかもしれないが、そう 
          いうことを期待するほうがおかしい。子どもと接する時間が長いというだけで、先生とてこの文 を読んでいるあなたと、どこも違わない。そこでこう考えてみてほしい。もしあなたが教師で、生 徒にこう言われたとする。「あんたの教え方ヘタだって、ママが言っていたよ」と。そのときあな たはそれを笑って無視できるだろうか。中には、「あんたの教え方ヘタだから、今度校長先生 に言って、先生をかえてもらうとママが言っていた」と言う子どもさえいる。あなたは生徒のそう いう言葉に耐えられるだろうか。 
           教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでもかけられる。しかし手を抜こうと思うえば、 
          いくらでも抜ける。ここが教育のこわいところでもあるが、それを決めるのが、冒頭にあげた 「人間関係」ということになる。実際、やる気を決めるのは、教師自身ではなく、この人間関係で ある。それを一方で破壊しておいて、「よい教育をせよ」はない。が、それだけではすまない。 
           あなたが先生の悪口を言ったり、先生を批判したりすると、子ども自身もまた先生に従わなく 
          なる。一度そうなるとそれが悪循環となって、(損とか得とかいう言い方は好きではないが… …)、結局は子ども自身が損をすることになる。仮に先生に問題があるとしても、子どもの耳に 入らないところで、問題を処理する。子どもが先生の悪口を言ったとしても、「あなたが悪いか らでしょ」と言ってのける。これも大原則の一つである。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(34) 
          
          ●まじめな子ども 
          
           言われたことをきちんと、しかも従順にする子どものことを、まじめな子どもと考えている人が 
          いる。しかしこれは誤解。その子どもがまじめかどうかは、その子どもがどれだけ自己規範(自 分で考え、その判断に従って行動すること)を守れるかどうかで決まる。こんな子どもがいた。 
           ある日、バス停で1人の女の子(小3)に会った。以前の生徒だったので、「ジュースを買って 
          あげようか」と声をかけると、その子はこう言った。「いいです。これから家に帰って、夕ご飯を 食べますから。ジュースを飲んだら、夕ご飯が食べられなくなります」と。こういう子どもをまじめ な子どもという。 
           子どものまじめさは、家庭環境で決まる。しかも0歳からの乳幼児期にかけて決まる……?  
          そのことを、私は2匹の犬を飼ってみて知った。 
           私の家には2匹の犬がいる。1匹は、保健所で処分される寸前にもらってきた犬(これをA犬 
          とする)。もう1匹は、愛犬家のもとで手厚く育てられた犬(これをB犬とする)。この2匹の犬 は、我が家へ来てからずっと、性格は幼犬のときのまま。A犬は、もう15才にもなるが、忠誠 心も弱く、裏の木戸があいていようものなら、すぐ遊びに出て行ってしまう。だれにでもシッポを 振るから、番犬にはならない 
          一方B犬のほうは、態度も大きいが、忠誠心も強い。見知らぬ人が来たりすると、けたたましく 
          ほえる。実のところ人間も犬と同じ。生後まもなくから、親の手を離れて育った子どもや、育児 拒否、家庭騒動、虐待を経験した子どもは、A犬のような性格をもつ。一方、心穏やかな環境 で、親の愛をたっぷりと受けて育ったような子どもは、B犬のような性格をもつ。 
          これ以上のことは、あれこれ誤解を招くので。ここでは書けないが、子どもをここでいう「まじめ 
          な子ども」にしたかったら(当然だが……)、B犬が育ったような環境で、子どもを育てる。もっと 言えば、子どもの側からみて、絶対的な安心感のある家庭で、子どもを育てる。「絶対的」とい うのは、「疑いをいだかない」という意味。そういう家庭があってはじめて子どもは、善悪を静か に判断して、それに従って行動できるようになる。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(35) 
          
          ●マトリックスの世界 
          
           少し前、キアヌ・リーブズ主演の、『マトリックス』という映画があった。おもしろい映画だった。 
          仮想現実の世界を母体(マトリックス)と思い込んだ人たち(?)が、本当の母体を知るという映 画だったが、しかしそれは映画の世界だけの話ではない。 
           子どもを育てるということは、人間を育てることをいう。教育というのがあるとするなら、それ 
          は子どもに生きるために必要な知識や経験を、武器として与えることをいう。しかしそれが今、 逆転している。教育のために、子どもを育てるのが、この日本では子育ての基本になってい る。そら進学だ、そら受験だ、と。 
          人間を育てる世界を母体(マトリックス)とするなら、教育の世界は、いわば仮想現実の世界と 
          いうことになる。が、ほとんどの親はその仮想現実の世界にハマりながら、それが仮想現実の 世界だとすら気づかないでいる……! こんなことがあった。 
           K君(中1)という、本当にまじめな子どもがいた。ただ能力的には、あまり恵まれていなかっ 
          た。私のところへ来ても、ただひたすらコツコツと勉強をしていたが、そんなわけで学校での成 績は思わしくなかった。で、最初の期末試験が終わったときのこと。K君の母親から電話がか かってきた。いわく、「成績が悪かった。もっと息子をしぼってほしい」と。しかし私はこう言っ た。「K君には、よくがんばったねと言うことはできても、これ以上がんばれとは、私には言えな い」と。すると今度は父親から電話がかかってきて、「うちの息子はどうしても、S高(静岡県で も最難関の進学高校)へ入ってもらわねばならない。S高へ入れてもらえるか」と。そこで私 が、「うちは進学塾ではありません」と言うと、「君はうちの子ではS高は無理と言っているの か。失敬ではないか!」と、怒り出してしまった。 
           この両親のばあいも、人間を育てるという本来の母体(マトリックス)を忘れてしまい、仮想現 
          実の世界で子どもを育てていた。本末転倒という言葉があるが、まさにその本末が転倒してい た。 
           映画「マトリックス」は、もちろんSF(空想科学)映画だが、しかしSFとばかり言えない面があ 
          る。一度仮想現実の世界にハマってしまうと、それが現実の世界だと思い込んでしまう。さて、 あなたも一度、あなたの仮想現実の世界を疑ってみたらどうだろうか。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(36) 
          
          ●こわい三大主義 
          
           子育てで避けたい主義に、スパルタ主義、完ぺき主義、それに極端主義がある。スパルタ主 
          義や完ぺき主義はともかくも、問題は極端主義。子育てはどこか標準的、どこかいいかげん、 どこかふつうという感じが大切。「どこか極端?」と感ずるような子育て法は、効果よりもその弊 害を疑ってみたほうがよい。 
           ところでこの世界、つまり教育(子育て)評論の世界では、他人の子育て法には干渉しないと 
          いう暗黙の了解がある。自分の正しさを前向きに主張しても、他人のそれは批判しない。しか し、だ。それでもおかしな教育法がある。 
          昔、Tヨットスクールという団体があった。それもそのひとつだが、最近でも、不登校の子どもや 
          それをもつ親に向かって、「バカヤロー」とか、「おまえら!」とか叫んでなおす(?)という女性 が現れた。NHKテレビでも紹介されたというから驚きである(新聞の広告)。私は彼女が書い た本を2冊ほど読んだが、とても読むに耐えない内容の本だった。感情的というか、感情的す ぎるほどの本だった。だいたいにおいて、不登校を「悪」と決めてかかる発想が、短絡的であ る。 
           いうなればこれもここでいう極端主義である。彼女は「不登校を怒鳴ってなおす」と言っている 
          ようだが、これは一方で、子どもの不登校問題を地道に考え、指導してきた人たちへの冒涜 (ぼうとく)でもある。仮にそれでなおったかのように見えるとしても、さらに大きなキズを子ども の心に残すかも知れない。このことはあのTヨットスクールですでに証明されたことでもある。 
           ときどき、しかも忘れたころ、こうした極端な教育法がこの世界をにぎわす。不安のどん底に 
          いる人にとっては、魅力的な教育法に見えるかもしれないが、こうした極端な教育法はまず疑 ってみたほうがよい。あるいは近づかないほうがよい。 
          子育てというのは、あくまでも子どもという「人間」を見て判断する。しかしそれは難しいことでは 
          ない。もしそれがわからなければ、子どもを「あなた」と置き換えてみるとよい。いつも「自分な ら、それを望むだろうか」「自分なら、それができるだろうか」「自分なら、どうなるだろうか」と考 えればよい。それでよい。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(37) 
          
          ●教育カルトにご注意 
          
           以前、たまごっちというゲームがはやった。そのときのこと。あの電子の生き物(?)が死んだ 
          (?)だけで、おお泣きする子どもはいくらでもいた。一方、その少しあと、今度は、ミイラ化した 死体を、「生きている」とがんばったカルト教団が現れた。 
           この二つの事実は、まったく正反対で、関連性がないように思う人がいるかもしれないが、そ 
          の「質」は同じとみる。つまり生きていない生き物(?)を死んだと思い込む回路と、死んだ人間 を生きていると思い込む回路は、方向性こそ逆だが、その中身は同じ。子どもも、そしておとな も、ふとしたきっかけで、こうした回路にハマりやすい。 
           実のところ、教育の世界にもカルトは存在する。「S方式教育法」と言い出したら、あけてもく 
          れても、「S方式」と言い出す。「M方式」と言い出したら、あけてもくれても「M方式」と言い出 す。親や子どもではない。教育者自身がそう言い出す。そしてそれを盲信するあまり、ほかの 教育法を徹底的に攻撃する……。次のような症状があれば、教育カルトを疑ってみる。 
          (1)「自分の教育法が絶対正しい」という反面、その返す刀で、「相手はまちがっている」とい 
          う。 
          (2)絶対的な権威者をもちだし、その権威者を神か仏のようにあがめる。あがめる分だけ、 
          「私」がどこかへ消える。「この教育法で学んだすばらしい子どもたちの演奏をお聞きください」 と雑誌に書いていた人がいた。「私」というものがあれば、おこがましくて、ここまでは書けな い。 
          (3)狂信的な説明が多くなる。常識ハズレなことを言い出す。「どこかおかしい」と感じるような 
          発言が多くなる。「この方式で学んだ子どもたちが、やがてゾロゾロと東大の赤門をくぐることに なるでしょう」と書いている団体が、実際にある。 
          ひとつの教育法を盲信することは、その盲信する人にとっては、たいへん楽なことでもある。 
          「考える」ということには、それ自体苦痛がともなう。そこで人は自分の思想を他人に預ける。し かしこれはたいへん危険なことでもある。いつしかとんでもない世界にハマりながら、それにす ら気づかなくなる。それこそミイラ化した死体を見ながら、「生きている」とがんばるようなことも するようになる。 
          子育てではいつも「常識」を基準にして考える。 
          
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(38) 
          
          ●帰宅拒否を疑う 
          
           不登校ばかりが話題になるが、それと同じくらい問題なのが、帰宅拒否。今、園でも学校で 
          も、家に帰りたがらない子どもがふえている。もっとも子どものばあい、「帰りたくない」とは言わ ない。態度や行動で、それを示す。そこでもしあなたの子どもが、毎日家に帰ってくるのが、不 自然に遅いとか、回り道をしてくるとか、あるいはいつも友だちの家に寄ってくるというのであれ ば、この帰宅拒否を疑ってみる。こんな子ども(年長男児)がいた。 
           帰りのバスの時刻になると、決まってどこかへ隠れてしまうのだ。炊事室の中や、園舎の裏 
          など。で、そのたびに幼稚園中が大騒ぎ。やがて先生が手を焼き、親に迎えにきてほしいとい う手紙を出したが、このケースで、まず疑ってみるべきは、帰宅拒否である。「家に帰りたくな い」という思いが、子どもをしてこうした行動をとらせるようになる。 
           もちろん原因は、家庭にある。家そのものが狭いとか窮屈ということもあるが、子どもの側か 
          らみて、息が抜けない、気が休まらないなど。それをまず疑ってみる。親の神経質な過干渉、 過関心が原因となることも多い。ほかに家庭騒動、不和、崩壊などもある。家庭が家庭として 機能していないとみる。 
           そこでテスト。あなたの子どもは、園や学校から帰ってきたとき、明るい声で、「ただいま!」 
          と、意気揚々と帰ってくるだろうか。もしそうならそれでよい。しかしここに書いたように、様子が へんだと感じたら、家庭のあり方をかなり反省したほうがよい。こうした状態が長く続けば続く ほど、子どもの心に深刻な影響を与える。最悪のばあいには、外泊、家出、さらには集団非行 へと進みかねない。 
           前にも書いたが、「家庭(ホーム)」は、子どもにとっては、心をいやし、心を休める場所でなけ 
          ればならない。またそれができてこそ、「家庭」という。そういう家庭を用意するのは、親の義務 と考えてよい。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(39) 
          
          ●親のうしろ姿は見せない 
          
           子育てのために苦労している姿。生活のために苦労している姿。そういうのを、この日本で 
          は、「親のうしろ姿」という。こうしたうしろ姿は、親が見せたくなくても、子どもは見てしまうもの だが、しかしそれを子どもに押し売りしてはいけない。 
          よい例が、窪田聡という人が作詞した、「かあさんの歌」である。「♪かあさんは夜なべをして、 
          手袋編んでくれた……」というあの歌である。しかしあの歌ほど、恩着せがましく、お涙ちょうだ いの歌はない。そういう歌が、日本の名曲になっているところに、日本の子育ての問題点が隠 されている。ちなみに、歌詞は、3番まであるが、3、4行目は、かっこつきになっている。つまり その部分は、母からの手紙の引用ということになっている。 
           「♪木枯らし吹いちゃ、冷たかろうて、せっせと編んだだよ」「♪おとうは土間で、ワラ打ち仕 
          事。お前もがんばれよ」「♪根雪も溶けりゃ、もうすぐ春だで。畑が待っているよ」と。 
           あなたが息子であるにせよ、娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、それこそ羽ば 
          たける羽もはばたけなくなってしまう。たとえそうであっても、親が子どもに手紙を書くとしたら、 「村祭りに行ったら、手袋を売っていたから、買って送るよ」「おとうは居間で俳句づくり。新聞に もときどき、載るよ」「春になったら、みんなで温泉に行ってくるからね」である。 
           日本人は無意識のうちにも、子どもに、「産んでやった」とか「育ててやった」とか言って、恩を 
          着せる。子どもは子どもで、「産んでもらった」とか「育ててもらった」とか言って、恩を着せられ る。そしてそういう関係の中から、日本独特の親意識が生まれ、親孝行論が生まれる。 
          しかし子どもが親のために犠牲になる姿など、美徳でも何でもない。いわんや親がそれを子ど 
          もに求めたり、期待してはいけない。親は親で、自分の人生を前向きに生きる。そしてそういう 姿を見て、子どもは子どもの人生を前向きに生きる。親子といえども、その関係は、1人の人 間対1人の人間の関係である。一見冷たい人間関係に見えるかもしれないが、1人の人間とし て互いに認めあう。それが真の親子関係の基本である。あのイギリスのバートランド・ラッセル (イギリス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)もこう言っている。 
          「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれども、 
          決して限度を超えないことを知っている、そんな両親のみが、家族の真の喜びを与えられる」 と。 
          ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(40) 
          
          ●成長を喜ぶ 
          
           まずテスト。あなたの子どもは何か新しいことができるようになったり、おもしろいことを発見し 
          たようなとき、あなたのところにやってきて、「見て、見て!」と言うだろうか。もしそうならそれで よし。しかしそういう会話が親子の間から消えているようなら、あなたはあなたの子育てをかな り反省したほうがよい。 
           子どもを伸ばす三大要素に、(1)好奇心(いつもあらゆる方向に触覚がのびている)、(2)生 
          活力(自立し、自分で何でもできる)、(3)頭の柔軟さ(頭がやわらかく、臨機応変にものごとに 対処できる)がある。 
          もちろん生まれつきの能力も関係するが、これは遺伝子の問題だから、教育的にはあまり論じ 
          ても意味がない。で、こうした三大要素を側面から支えるのが、家庭、なかんずく「親」というこ とになる。こんな家庭があった。 
           その家庭には三人の男の子がいたが、皆、表情が明るく、伸び伸びとしていた。そこでその 
          秘訣をさぐると、それは母親の言葉にあるのがわかった。子どもたちが何か、新しいことがで きるようになるたびに、その母親がそれを心底、喜んでみせるのである。下の子が上の子のお さがりをもらうときもそうだ。母親は下の子に、上の子のおさがりを着させながら、「おお、あん たもお兄ちゃんのが着られるようになったわね」と、喜んでみせていた。こうした家庭のリズム が、子どもたちを伸びやかにしていた。 
           子どもを伸ばすためには、子どもの成長を喜んでみせる。ウソではいけない。本心からそう 
          する。そういう前向きな姿勢が親にあってはじめて、子どもも伸びる。が、そうでない親もいる。 「あんたはダメな子ね」式の言い方をいつもする親である。子どもの表情が暗くなって当然。こ ういう家庭では、子どもは決して、「見て、見て!」とは言わない。「どうせ、ぼくはダメだ」と逃げ てしまう。 
          もしそうなら、今日からでも遅くないから、子どもの成長を喜ぶようにする。たとえテストの点が 
          悪くても、「去年よりはずっとよくなったわね」などと言う。そういう姿勢が子どもを伸ばす。子ど もの表情を明るくする。 
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