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ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(41)

●子どもを知る

 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だが、それ
くらい自分の子どものことを知るのは難しい。親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で
見る。あるいは悪い部分を見ない。

「人、その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして子
どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。

 ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、がんば
っていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。ある夜1人の父親が、A君(中1)の家
に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児になってしまった」と。A君
の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でもいじめグループの中心にい
た、などなど。

こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正しくとらえることは難しいが、子どもの学力となる
と、さらに難しい。たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績
が悪くても、「勉強の量が少なかっただけ」とか「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ち
はよくわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。

子どものばあい、(やる・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰
期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。

 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているというので
あれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配で、不安が
つきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)とみる。そしても
し後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れる。早ければ早いほど
よい。そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成
績はますますさがる

要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめると、それまで見えていなかっ
た子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう「賢い父親」というのは、そういう父親
をいう。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(42)

●親孝行を美徳にしない

 日本では「親孝行」が、当たり前になっている。しかしそういう常識(?)の陰で、人知れず、そ
れに苦しんでいる人は多い。親を前にすると体中が緊張する(34歳女性)、実家へ帰るのが
苦痛(30歳女性)など。しかし世の中には、親をだます子どもがいるが、子どもをだます親もい
る。Tさん(70歳)がそうだ。Tさんは息子(45歳)がもっている土地の権利書を言葉巧みに取
りあげて、それを他人に転売してしまった。権利関係が複雑な土地だったこともあるが、その
息子はこう言う。

「親でなかったら、訴えているところです」と。が、当のTさんには、罪の意識がまったくない。間
に入った人がそれとなく息子の気持ちを伝えると、Tさんはこう言った。「親が息子の財産をつ
かって何が悪い。私が息子たちにかわって、先祖や家を守ってやっているのだ」と。

 親孝行するかしないかは、あくまでも子どもの問題。もっと言えば、一対一の人間関係が基
本。「親が上で、子は下」という関係では、そもそも良好な人間関係など育たない。親子はあく
までも平等だ。その基本なくして、親孝行はありえない。

言いかえると、親は、子どもを「モノ」とか、「所有物」として考えるのではなく、一人の「人間」とし
て認める。すべてはここから始まる。つまり親は子どもを育てながら、自らも「尊敬される親」に
ならなければならない。子どもが親を孝行するかしないかは、あくまでもその「結果」でしかな
い。

さらに言いかえると、子どもが親を軽蔑し、親孝行を考えなくなったとしても、その責任は子ども
にはない。そういう親子関係しか作れなかった親自身にある。きびしいことを言うようだが、親
になるということは、それくらいたいへんなことでもある。

 親孝行を子どもに求める親というのは、それだけで、依存心の強い親とみる。「甘えている」
と言ってもよい。そういう親からは、自立した子どもは生まれない。前にも書いたが、依存心と
いうのは、あくまでも相互的なものである。そんなわけで子どもを自立させたかったら、親自身
も子どもから自立する。またそのほうが、結局は子どもから尊敬される親になる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(43)

●負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこじれ
て、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともかくも、間に子
どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、ま
ともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。さらに
は、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1人はいる。こ
のタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そういうまともで
ない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。相手が
先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」とか何とか
言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろう。しかしそれでも
頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集
まる。

しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから……」と
なる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているようでわか
らないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。すべてではな
いことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、あなたの親は、あな
たのすべてを知っていただろうか。それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういっ
た苦情が耳に届くということは、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝
ち」。

これは親同士のつきあいの大鉄則と考えてよい。
 




ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(44)

●育児ノイローゼに注意

 子育てをしていて育児ノイローゼになる人は多い。圧倒的に母親に多いが、父親がノイロー
ゼになることも、珍しくはない。精神的な打撃によって起こる心的障害のことをノイローゼという
が、精神病というほど重くはない。ないが、対処のし方をまちがえると、深刻な結果を招くことが
ある。次のような症状が続いたら、育児ノイローゼを疑ってみる。

(1)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
(2)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)、
(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、
日常活動への興味の喪失)、
(4)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、
(5)風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
(6)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
(7)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
(8)同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなく
なる(感情障害)、
(9)他人との接触を嫌う(回避性障害)、
(10)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
(11)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。

もっとも育児ノイローゼになっても、本人がそれに気づくことはまずない。脳のCPU(中央演算
部分)が変調するため、本人はそういう状態になりながらも、「自分ではふつう」と思い込む。あ
るいは他人に「異常」を指摘されたりすると、反対に過度の罪悪感に襲われ、かえって深く落ち
込んでしまうこともある。

そこで重要なのが、夫ということになるが、その夫の協力が得られないことが多い。で、もしここ
に書いたような症状のうち、いくつかに思い当たることがあれば、「今の状態はふつうではな
い」という前提で、自分のまわりを見なおす必要がある。できれば子育てそのものから離れる。
でないと、(こういうことを書くと、ますます症状がひどくなってしまうかもしれないが)、子どもに
影響が出てくる。そんなわけで、もし症状がひどいようであれば、一度、精神科のドクターに相
談してみる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(45)

●心を通訳しない

 英語にはときどき、ハッと思うような表現がある。たとえば「トランスレイト(通訳)」という言葉。
相手の心を、「こうだろう」と思って代弁すると、「君の判断で通訳しないでくれ」と言われる。
が、日本では、甘い。親が子どもの心を決めてしまうことも、珍しくない。

 母「先日は、息子(年長児)が、いろいろお世話になりました。息子も『楽しかった』と喜んでい
ます」と。しかし肝心の息子は、そ知らぬ顔でプイと遠くを見ている……。
 さらに程度が進むと、こんな会話をするようになる。

 私、子ども(年長児)に向かって、「この前の日曜日は、どこへ行ったのかな?」、
母、会話に割り込んできて、「おばあちゃんちへ行ったでしょ。ね、そうでしょ」、
私、再び子子どもに向かって、「楽しかったかな?」、
母、再び会話に割り込んできて、「楽しかったでしょ。そうでしょ! どうしてあんたは自分で楽し
かったと言えないの!」と。

 典型的な過干渉ママの会話だが、こうした会話は親子断絶の第一歩とみてよい。「子どもの
ことは私が一番よく知っていると」と思い込む親。「親は何も私のことをわかってくれない」と思う
子ども。いや、子どもが小さいうちは、まだよい。子どもが親に合わせるが、少し大きくなると、
そうはいかない。子「うるさい!」、親「何よ、親に向かって!」となる。

 子どもの人格を認めるということは、子どもの心を大切にするということ。心を大切にするとい
うことは、常に子どもの心を確かめるということ。自分がそう思うからといって、子どももそう思う
と考えるのは、まちがい。まったくのまちがい。そういう前提で、子どもの心を確かめる。

よくあるケースは、おけいこごとなど、親が勝手に決めてしまうケース。「来週から、ピアノ教室
へ行きますからね」と。やめるときもそうだ。子どもの心を確かめることもなく、「来月から別の
教室へ行きます。今、行っているところは、今月でおしまい」と。
 子どもの心は通訳しない。これは正常な親子関係を築くための鉄則の一つと考えてよい。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(46)

●子育ての「時」は急がない

 時の流れは不思議なものだ。そのときは遅々として進まないようにみえる時の流れも、過ぎ
去ってみると、あっという間のできごとのようになる。子育てはとくにそうで、大きくなった自分の
子どもをみると、乳幼児のころの子どもが本当にあったのかと思うことさえある。もちろん子育
ては苦労の連続。苦労のない子育てはないし、そのときどきにおいては、うんざりすることも多
い。しかしそういう時のほうが、思い出の中であとあと光り輝くから、これまた不思議である。

 昔、ロビン・ウィリアムズが主演した映画に、『今を生きる』というのがあった。「今という時を、
偽らずに生きよう」と教える高校教師。一方、進学指導中心の学校側。この二つのはざまで一
人の高校生が自殺に追い込まれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、ひょっとしたら日本人に、一番欠けている生き方ではないの
か。ほとんどの親は幼児期は小学校入学のため、小学校は中学校入学のため、中学や高校
は大学入試のため、と考えている。子どもも、それを受け入れてしまう。こうしたいつも未来の
ために「今」を犠牲にする生き方は、一度身につくと、それがその人の一生の生き方になってし
まう。社会へ出てからも、先へ進むことばかり考えて、今をみない。結果として、人生も終わる
ときになってはじめて、「私は何をしてきたのだろう」と気がつく。実際、そういう人は多い。

英語には『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞にもなっているよう
な格言だが、やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた、と。

 大切なのは、「今」というときを、いかに前向きに、輝いて生きるか、だ。もし未来や結果という
ものがあるとするなら、それはあとからついてくるもの。地位や肩書きや名誉にしてもそうだ。
まっさきにそれを追い求めたら、生き方が見苦しくなるだけ。子どももしかり。幼児期にはうんと
幼児らしく、少年少女期には、うんと少年や少女らしく生きることのほうが重要。親の立場でい
うなら、子どもと「今」という時を、いかに共有するかということ。そのためにも、子育ての「時」は
急がない。今は今で、じっくりと子育てをする。そしてそれが結局は、親子の思い出を深くし、親
子のきずなを深めることになる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(47)

●子育ては子離れ

 子育てを考えたら、その一方で同時に、子離れを考える。「育ててやろう」と考えたら、その一
方で同時に、「どうやって手を抜くか」を考える。そのバランスよさが子どもを自立させる。こん
なことがあった。

 帰りのしたくの時間になっても、D君(年中児)はそのまま立っているだけ。机の上のものをし
まうようにと指示するのだが、「しまう」という言葉の意味すら理解できない。そこであれこれ手
振り身振りでそれを示すと、D君はそのうちメソメソと泣き出してしまった。多分そうすれば、家
ではだれかが助けてくれるのだろう。が、運の悪いことに、その日はたまたま母親がD君を迎
えにきていた。D君の泣き声を聞くと教室へ飛び込んできて、私にこう言った。「どうしてうちの
子を泣かすのですか!」と。

 このタイプの親は、子どもの世話をするのを生きがいにしている。あるいは手をかけること
が、親の愛の証(あかし)と誤解している。しかし親が子どもに手をかければかけるほど、子ど
もはひ弱になる。俗にいう「温室育ち」になり、「外に出すとすぐ風邪をひく」。特徴としては、

(1)人格の「核」形成が遅れる。ふつう子どもというのは、その年齢になるとその年齢にふさわ
しい「つかみどころ」ができてくる。しかしそのつかみどころがなく、教える側からすると、どういう
子どもなのかわかりにくい。

(2)依存心が強くなる。何かにつけて人に頼るようになる。自分で判断して、自分で行動をとれ
なくなる。先日も新聞の投書欄で、「就職先がないのは、社会の責任だ」と書いていた大学生
がいた。そういうものの考え方をするようになる。

(3)精神的にもろくなる。ちょっとしたことでキズついたり、いじけたり、くじけたりしやすくなる。

(4)全体に柔和でやさしく、「いい子」という印象を与えるが、同時に子どもから本来人間がもっ
ているはずの野生臭が消える。

 人間の世界を生き抜くためには、ある程度のたくましさが必要である。たとえばモチまきのと
き、ぼんやりと突っ立っていては、モチは拾えない。生きていくときも、そうだ。そのたくましさ
を、どうやって子どもに身につけさせるかも、子育てでは重要なポイントとなる。もしあなたの子
どもが、先のD君のようであるなら、つぎのような格言が役にたつ。

「何でも半分」……子どもにしてあげることは、何でも半分にして、それですます。靴下でも片方
だけはかせて、もう片方は自分ではかせる。あるいは服でも途中まで着させて、あとは子ども
に任す、など。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(48)

●子育ては楽しむ

 子育ては本来、楽しいもの。楽しくなかったら、どこかおかしいと思ってよい。実際には約七
二%の母親が、「子どものことでイライラする」(日本女子社会教育会・平成7年)と答えている
が……。ただこういうことは言える。子育てを楽しんでいる親の子どもは、表情が生き生きとし
て、明るいということ。そうでない親の子どもは、そうでない。

 子育てを楽しむ秘訣、それは子どもの世界に自分も入ること。相手が子どもだからといって、
幼稚だとか、愚かだとか考えてはいけない。子どもは未経験で知識はなく、未熟な面はある
が、しかしおとなが考えているよりはるかにその世界は純粋で美しい。人間の「原点」がそこに
あると言っても過言ではない。いろいろなことがあった。

 幼稚園で一人、両手を下へおろしたまま走っている子ども(年長児)がいた。そこで私が「手
を振って走れ!」と号令をかけると、何を思ったかその子どもは、「先生、バイバーイ、先生、バ
イバーイ」と言って走り出した。あるいは子どもたち(年長児)に、「春になると木に芽が出てきま
す」と話したときのこと。何人かの子どもたちが、「こわい、こわい」と言い出した。「芽」を「目」と
誤解したためだ。子どもといっても、心はおとな。私の子ども観を変えた事件に、こんなことが
あった。

 一人静かな女の子(年長児)がいた。いつもはほとんど発言しなかったが、その日は違ってい
た。たまたまその女の子の母親が授業参観に来ていた。何か質問すると、「ハーイ」と言って元
気よく手をあげた。そこで私が少しおおげさにほめて、みんなに手を叩かせた。するとその女
の子はポロポロと涙をこぼし始めた。

私はてっきりうれし泣きと思ったが、それにしても合点がいかない。そこで授業が終わったあ
と、「どうして泣いたの?」と聞くと、その女の子はこう言った。「私がほめられたから、ママが喜
んでいると思った。ママが喜んでいると思ったら、涙が出てきちゃった」と。その女の子は、母親
の気持ちになって涙をこぼしていたのだ!

 子どもの世界はあなたが思っているよりはるかに広い。それに気づくか気づかないかは、つ
まるところあなたの姿勢による。あなたも一度、まさに童心に返って、子どもとともにその世界
を楽しんでみたらどうだろうか。子育てもぐんと楽しくなる。そしてそれに合わせてあなたの子ど
もの表情も明るくなる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(49)

●国語力を豊かにするために

 「ほら、カバン! ハンカチは! バス、バス……、ほら、帽子!」と、こんな話し方をしてい
て、子どもに国語力が育つはずがない。こういうときは、たとえめんどうでも、「あなたはカバン
をもちます。ハンカチはもっていますか。もうすぐバスが来ますから、急いでしたくをしなさい。帽
子を忘れないでください」と。

こうした会話環境があってはじめて、子どもは国語力を身につけることができる。が、こんな方
法もある。

 一人、バツグンの国語力のある子ども(年長女児)がいた。作文力をみたら、小学4〜5年生
程度の力があったのではないか。紙芝居を渡しても、その場でスラスラと物語をつくってみせ
た。そこで母親にその秘訣を聞くと、こう話したくれた。

 母親の趣味はドライブ。そこでほとんど毎日、それもその子どもが乳幼児のときからドライブ
に連れていったのだが、そのとき母親は、自分の声で吹き込んだ物語のテープを聞かせつづ
けたという。物語は、子ども向けのものから、もう少し年齢の大きい子ども向けのものまで、い
ろいろあったという。

 確かにこの方法は効果的である。別の母親は、森鴎外の難解な小説(「高瀬舟」)を吹き込
んだカセットテープをその子ども(小1)に、毎晩眠る前に聞かせた。数か月もすると、その子ど
もはその物語をソラで言えるようになったという。

 この方法にはいくつかのコツがある。やはり一番よいのは、母親の声で録音したテープ。物
語は何でもよいが、読んで聞かせる目的なら、2〜4年レベルの高いものでも構わない。大き
な書店へ行くと、学校の教科書を売っている。そういうところで、いろいろな教科書を手に入れ
て読んであげるとよい。値段も安いし、内容もよく吟味されている。

また国語に限らず、社会や理科、あるいは道徳の教科書でもよい。子どもが興味をもっている
ことなら一番よいが、あまりこだわらなくてもよい。

 さて冒頭の話だが、子どもの国語力の基本は、あくまでも親、なかんずく母親の国語力によ
る。あなたも子どもの前では、正しい日本語で話してみてほしい。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(50)

●子どもの体で考える

 体重15キロの子どもがかん缶ジュース1本飲むということは、体重60キロの人が同じ缶ジュ
ースを4本飲むのに等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲んだ
で、腹の中がガボガボになってしまう。

しかし無頓着な人は、子どもに平気で缶ジュースを1本与えたりする。ソフトクリームもそうだ。
横からみると、子どもの顔よりも大きなソフトクリームを子どもに与えている人がいる。それが
いかに多い量かは、一度あなたの顔よりも大きなソフトクリームを特別に注文してみればよ
い。そういうものを一方で子どもに与えておいて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。(ちな
みに約半数の親が、子どもの小食で悩んでいる。好き嫌いがはげしい。食が少ない。ノロノロ
食べるなど。)

 私は職業がら、そういう親子を見ると、つい口を出したくなる。先日もファミリーレストランで、
アイスフロートのジュースを飲んでいる子ども(年長児)を見かけたので、にこやかに笑いなが
らだったが、「そんなにたくさん飲まないほうがいいよ」と声をかけてしまった。が、それを聞い
た母親はこう叫んだ。「いらんこと、言わんでください!」と。いらぬお節介というわけだ。

 ほかにスナック菓子、かき氷しかり。世界を歩いてみても、日本ほどお菓子の発達(?)した
国は少ない。もっとも味についていえば、アメリカ人のほうが、日本人よりはるかに甘党で、健
康に害があるとかないとかいうことになれば、日本ではそれほど心配しなくてもよいのかもしれ
ない。

しかし一時的に甘い食品(精製された白砂糖が多い食品)を大量に摂取すると、インスリンが
大量に分泌され、それが脳間伝達物質であるセロトニンの分泌を促し、脳に変調をきたすこと
が知られている。そしてそのため、脳の抑制命令が阻害され、子どもは突発的に興奮しやすく
なったりするという。もう30年ほど前に、アメリカで問題になったことだが、もしあなたの子ども
が日常的に興奮しやすく、突発的に暴れたり、ヒステリー状態になることが目立つようだった
ら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。

子どもによっては、たった1週間、砂糖断ちしただけで、別人のように静かになるということはよ
くある。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(51)

●子どもの耳は長い

 イギリスの格言に『子どもの耳は長い』というのがある。もともとの意味は、子どもというの
は、耳がよい。親の会話などでも、聞いていないようで聞いてしまう。だから子どもの近くでは、
めったな話を軽率にしてはいけないという意味だが、私ははじめてこの格言を知ったとき、別
の意味に考えた。

 子どもというのは、親が説教しても、その説教の内容が理解できるようになるまでに時間が
かかる。たとえば子どもが母親のサイフからお金を盗んで使ったとする。そういうとき親は、そ
れが悪いことだと子どもに教えるが、子どもがそれが悪いことだと本当に理解するようになるま
でには、しばらく時間がかかる。

親があせって早く理解させようとしてもムダ。強く叱ったり怒ったりすれば、一応しおらしい顔
で、反省しているかのような様子を見せることもあるが、わかっていてそうしているのではない。
こわいからそうしているだけ。叱られじょうずな子どもほど、叱られ方がうまい。このタイプの子
どもは、叱る割には効果はない。親は言うべきことを繰り返し言いながらも、あとはそれが子ど
もの脳に届くまで、待つ。ただひたすら待つ。そういう意味で、『子どもの耳は長い』と。

 子どもを指導するというのは、まさに根気との勝負。イライラしたら負け。怒ったり、怒鳴った
りしたら負け。子どもが親のリズムに合わせることができない以上、親が子どものリズムに合
わせるしかない。親と子どもは平等ではあっても、決して対等ではない。

親は絶対的な「強者」であるのに対して、子どもは絶対的な「弱者」。強者は弱者に対して、どこ
までも謙虚でなければならない。それに親が絶対的に正義ということも、ありえないのだ。

……とまあ、少し難しい話になってしまったが、要するに、「しょせん相手は子ども」というおおら
かさが、子どもを伸ばす。善悪の判断もそれで身につく。まずいのは一方的に、ガンガンと親
の価値観を子どもに押しつけるような行為。子どもは自分で考える力そのものをなくしてしま
う。そうなると、子どもはますます常識ハズレになり、もっと大きな失敗を繰り返すようになる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(52)

●子育てはリズム

 子育てはリズム。しかもそのリズムは、あなたが子どもを妊娠したときから始まる。そしてそ
のリズムは、よほどのことがない限り、一生つづく!

 胎教だ何だと、おなかの赤ちゃんに英語やクラシックの音楽のカセットテープを聞かせる母
親もいれば、赤ちゃんのことはまったく気にせず、マイペースで自分の仕事をつづける母親も
いる。

 赤ちゃんが泣く前に、時間がきたからといってミルクビンを赤ちゃんの口につっこむ母親もい
れば、赤ちゃんが泣いてからもしばらくミルクをあげない母親もいる。

 子どもが望む前に、勝手に英語教室に入会届けを出す母親もいれば、子どもが「行きたい」
と言っても、なかなか動かない母親もいる。やめるときも、母親が決め、勝手にやめる母親も
いれば、そのつど子どもに「どうするの?」と、子どもの意思を確かめながら行動する母親もい
る。

 一事が万事。こうしたリズムは一度できると、姿や形こそ変わるが、そのリズムそのものは変
わることはない。ある日1人の母親が私のところにきてこう言った。「先生、うちの子はああいう
子でしょ。だから夏休みの間、洋上スクールに入れようと思うのですが、どうでしょうか」と。そこ
で私が「本人は行きたがっているのですか」と聞くと、「いえね、それが行きたがらないので困っ
ているのです」と。

 親が3拍子で子どもが4拍子では、うまくいくはずもない。そして子どもが親のリズムに合わせ
ることができない以上、親が子どものリズムに合わせるしかない。でないと、やがてあなたは子
どもと、こんな会話をするようになる。

 母親「あんたはだれのおかげでピアノが弾けるようになったか、それがわかっているの! お
母さんが高い月謝を払って、毎週ピアの教室へ連れていってあげたからでしょ!」、子「だれが
そんなことしてくれと、いつあんたに頼んだア!」と。

こういう会話をしたくなかったら、今日からでも遅くないから、子どものリズムに合わせる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(53)

●子どもは気分屋

 子どもの最大の弱点は、未経験で知識に乏しいということ。それは当然だが、そのためあと
先のこともわからないまま、そのときの気分で親と約束をしてしまうこがある。

よくある例が、子どもが水泳教室へ入りたいというから、親が水泳教室へ入れたようなばあ
い。やがて子どもはそのハードな練習にいやになり、「行きたくない」と言ったとする。こういうと
き親は子どもに、「ちゃんと約束したから行きなさい」と子どもに、それを強要したりする。ある
いは「子どものときから、こんないいかげんなことでは、うちの子はダメになる」と思い込んで、
さらに無理に無理を重ね、水泳教室へ通わせたりする。しかし……。

 子育てはまじめ8割、いいかげんさ2割。子どもに完ぺきさを求めても意味はないし、へたに
求めると、子どもからかえって伸びる芽をつんでしまう。ある程度は押しても、それで動かない
ときは、親のほうが引く。

「そんなに行きたくないなら、いいわ」と。まずいのは、子どもをとことん追いつめるような行為。
子どもは行き場をなくし、それが原因となって情緒が不安定になったり、精神的におかしくなっ
たりする。(反対に粗放化する子どももいる。)

 いいかげんであることが悪いのではない。子どもはこの「いいかげんさ」の中で、羽をのば
す。心を休める。よくあるのが、「そういういいかげんなことで、子どもはいいかげんな人間にな
りませんか」という相談。しかし心配は無用。子どものまじめさや、それに対するいいかげんさ
は、もっと別のところで決まる。

このことについては、ほかで説明するが、それよりも、親の完ぺき主義のほうが、はるかに弊
害が大きい。いいかげんな親か、完ぺき主義の親か、どちらがいいかと聞かれれば、子どもに
とっては、いいかげんな親のほうがはるかによい。しかしいいかげんばかりでも困る。だから
「子育てはまじめ8割、いいかげんさ2割」。それくらいの割合がよい。

 要するに子どもは気分屋。子どもの約束など、真に受けないこと。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(54)

●子どもが育てる

 よく「育自」という言葉をつかって、「子育ては自分育て」と言う人がいる。まちがってはいない
が、子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、いやおうなしに育てられる。

ある父親は、体の弱い息子(中1)と毎朝近くの湖の周囲をランニングした。また別の母親は、
子どもと毎週図書館通いをした。その父親や、母親はこう言った。「自分のためだけなら、そこ
まではしなかった」と。とくにできの悪い子(失礼!)をもった親ほど、子どもに育てられる。子育
てというのはそういうものだが、こんな例もある。

 自分の子ども(2歳男児)が、重い病気にかかり、生死の境目をさまよったとき、その母親
は、「自分の命はどうなってもよいから、息子の命を救ってほしい」と、自分の心の中で祈りつ
づけたという。こうしたことはあってはならないことだが、しかし自分の命すらも惜しくないという
深い愛は、人は子どもをもってはじめて知る。

 親が子どもを育てるというのは、とんでもない誤解。子どもが親を育てる。はじめて子どもを
園へ連れてくるような母親は、たしかに若くてきれいだが、どこかツンツンとしていて、中身がな
い(失礼!)。バスの運転手さんや炊事室のおばさんにだと、あいさつもしない。しかしそんな親
でも、子育てで苦労をしながら、野を越え、山を越え、そして谷を越えるうちに、しだいに姿勢が
低くなる。人間的な丸みができてくる。

 子どもに育てられることを恐れてはいけない。またそれが恥ずかしいことだと思う必要もな
い。むしろ実際には、子どもに教えを請うつもりで、子どもに接するとよい。子どもは未熟だと
か、未完成だとか、そういうふうに決めてかかってはいけない。むしろ子どもの世界のほうにこ
そ、真理が隠されていることがある。私も自分の子育て論でわからないところがあると、子ども
の世界へ入って、そこで考えるようにしている。それだけではない。子どもと接していると、何が
大切で何が大切でないか、それを教えられることがある。あるいは忘れかけていた感動や生き
る力を教えられることもある。

 子どもが親を育てる……。もっともそれがわかるようになるのは、子育ても終わるころになっ
てからだが、あなたも一度そういう謙虚な気持ちで、あなたの子どもと接してみてはどうだろう
か。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(55)

●子どもは社会の縮図

 おとなの世界に4割の善と4割の悪があるなら、子どもの世界にも、4割の善と4割の悪があ
る。子どもの世界はまさにおとなの社会の縮図。おとなの世界をよくしないで、子どもの世界だ
けをよくしようとしても、それはおとなの身勝手。

もっと言えば、ムダ。子どもの世界をよくしようと考えたら、おとなの世界をよくする。たとえばい
じめにしても、非行にしても、おとなたちの世界にもそれがあるのに、どうして子どもに向かっ
て、それをやめろと言えるのか。子どもしてもはじめて読んだカタカナが、「ソープ」であったり
「ホテル」であったりする(「クレヨンしんちゃん」)。

 ただ悪があるから、悪いというのでもない。もし人間がすべて、天使のようになってしまった
ら、この世界、何とつまらないものになってしまうことか。善と悪のハバがあるから、この世界は
おもしろい。無数のドラマもそこから生まれる。

旧約聖書の中にも、こんな説話が残っている。ノアが、神にこう聞いたときのこと。「神よ、どう
して人間を滅ぼそうとしているのか。(滅ぼすくらいなら)、最初から完全な人間をつくればよか
った」と。それに対して神は、「(人間に)希望を与えるため」と。つまり人間は悪いこともする
が、一方努力によって、神のような人間にもなれる。「それが希望だ」と。

 私も若いころは、子どもの世界をよくしようとがんばったこともある。しかし40歳になり、50歳
になると、どんどんそういう気持ちは薄れた。薄れて、その反対に、結局は問題の根源はおと
なの世界にあることを知った。「犠牲」という言い方はあまり好きではないが、子どもたちこそ、
その犠牲者に過ぎない。我欲と貪欲のウズに巻き込まれ、子どもたちにしっかりとしたビジョン
を示せない私たちおとなのほうにこそ、その責任がある。

たとえば援助交際にしても、子どもたちにそれをやめろという前に、どうしておとなたちが、おと
なに向かって、それをやめろと言わないのか。あなたの友人や仲間が若い女の子と援助交際
していても、みんな、見て見ぬフリをしている!

 子どもの世界を見るときは、まずおとなの世界を見る。何か問題が起きたら、「自分ならでき
るか」「自分はどうか」と自問してみる。そしてここが重要だが、自分にできないことは、子ども
に求めないこと。期待しないこと。「子どもの世界は社会の縮図」というのは、そういう意味であ
る。
 




ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(56)

●ゆがんだ自然観

 もう40年以上も前のことだが、こんな詩を書いた女の子がいた(大阪市在住)。「夜空の星は
気持ち悪い。ジンマシンのよう。小石の見える川は気持ち悪い。ジンマシンのよう」と。この詩
はあちこちで話題になったが、基本的には、この「状態」は今も続いている。

小さな虫を見ただけで、ほとんどの子どもは逃げ回る。落ち葉をゴミと考えている子どもも多
い。自然教育が声高に叫ばれてはいるが、どうもそれが子どもたちの世界までそれが入ってこ
ない。

 「自然征服論」を説いたのは、フランシスコ・ベーコンである。それまでのイギリスや世界は、
人間世界と自然を分離して考えることはなかった。人間もあくまでも自然の一部に過ぎなかっ
た。

が、ベーコン以来、人間は自らを自然と分離した。分離して、「自然は征服されるもの」(ベーコ
ン)と考えるようになった。それがイギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さらには1740年に
始まった産業革命の原動力となっていった。

 日本も戦前までは、人間と自然を分離して考える人は少なかった。あの長岡半太郎ですら、
「(自然に)抗するものは、容赦なく蹴飛ばされる」(随筆)と書いている。が、戦後、アメリカ型社
会の到来とともに、アメリカに伝わったベーコン流のものの考え方が、日本を支配した。その顕
著な例が、田中角栄氏の「列島改造論」である。日本の自然はどんどん破壊された。埼玉県で
は、この40年間だけでも、30%弱の森林や農地が失われている。(2000年当時)

 自然教育を口にすることは簡単だが、その前に私たちがすべきことは、人間と自然を分けて
考えるベーコン流のものの考え方の放棄である。もっと言えば、人間も自然の一部でしかない
という事実の再認識である。

さらにもっと言えば、山の中に道路を一本通すにしても、そこに住む動物や植物の了解を求め
てからする……というのは無理としても、そういう謙虚さをもつことである。少なくとも森の中の
高速道路を走りながら、「ああ、緑は気持ちいいわね。自然を大切にしましょうね」は、ない。そ
ういう人間の身勝手さは、もう許されない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(57)

●机は平机

 以前、小学一年生について調べたところ、前に棚のある棚式机のばあい、購入後3か月で、
約80%の子どもが机を、物置にしていることがわかった。いろいろな附属品ついいる棚は、一
時的に子どもの関心を引くことはできても、あくまでも一時的。

棚式の机は長く使っていると、圧迫感が生まれる。その圧迫感が子どもを勉強から遠ざける。
あなたも一度、カベに机を向けて置き、その机でしばらく作業をしてみるとよい。圧迫感がどう
いうものか、理解できる。そんなわけで机は買うとしても、長い目で見て、平机が好ましい。ある
いはこの時期、まだ机はいらない。

 まず第一に、「勉強は学習机」という誤った固定概念は捨てる。日本人はどうしても型にはま
りやすい民族。型を決めないと落ちつかない。学習机その延長線上にある。小学校の低学年
児の場合、大半の子どもは、台所のテーブルなど利用して学習している。もしそうであれば、そ
れでよい。この時期、あまり勉強を意識する必要はない。「勉強は楽しい」という思いを子ども
がもつようにするのが大切。そこであなたの子どもと机の相性テスト。

 子どもが好きそうな食べ物などをそっと机の上に置いてみてほしい。そのとき子どもがそれを
そのまま机に向かって座って食べればよし。そうでなく、その食べ物を別の場所に移して食べ
るようであれば、机との相性はよくないとみる。長く使っていると、それが勉強嫌いの遠因にな
ることもある。

 よく誤解されるが、子どもの学習机は、勉強するためにあるのではなく、休むためにある。ど
んな勉強でも、10〜30分もすれば疲れてくる。問題はその疲れたときだ。子どもがそのまま
机に向かって休めればよし。そうでないと子どもは机から離れ、そこで勉強が中断する。勉強
というのは、一度中断すると、なかなかもとに戻らない。だから机は休むためにある。が、それ
でもなかなか勉強しないというのであれば、奥の手を使う。

 あなたの子どもが学校から帰ってきたら、どこでどのようにして体を休めるかを観察してみ
る。たいては台所のテーブルとか、居間のソファだが、そういうところを思いきって勉強部屋に
する。あなたの子どもは進んで勉強するようになるかもしれない。

 ものごとには相性というものがある。その相性があえばことはうまくいく。そうでなければ失敗
する。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(58)

●勉強部屋は開放感がポイント

 以前、高校の図書室で、どの席が一番人気があるかを調べたことがある。結果、ドアから一
番離れた、一番うしろの窓側の席ということがわかった。子どもというのは無意識のうちにも、
居心地のよい場所を求める。その席からは、入り口と図書室全体が見渡せた。このことから、
子ども部屋について、つぎのようなことに注意するとよい。

(1)机に座った位置から、できるだけ広い空間を見渡せるようにする。ドアが見えればなおよ
い。ドアが背中側にあると、落ち着かない。

(2)棚など、圧迫感のあるものは、できるだけ背中側に配置する。

(3)光は、右利き児のばあい、向かって左側から入るようにする。窓につけて机を置く方法も
あるが、窓の外の景色に気をとられ過ぎるようであれば、窓から机をはずす。

(4)机の上には原則としてものを置かないように指導する。そのため大きめのゴミ箱、物入れ
などを用意する。

 多くの親は机をカベにくつけて置くが、この方法は避ける。長く使っていると圧迫感が生じ、そ
れが子どもを勉強嫌いにすることもある。

 また机と同じように注意したいのが、イス。イスはかためのもので、ひじかけがあるとよい。フ
ワフワしたイスは、一見座りごこちがよく見えるが、長く使っているとかえって疲れる。また座る
と前に傾斜するイスがあるが、たしかに勉強中は能率があがるかもしれない。しかしそのイス
では、休むことができないため、勉強が中断したとき、そのまま子どもは机から離れてしまう。
一度中断した勉強はなかなかもとに戻らない。子どもの学習机は、勉強するためではなく、休
むためにある。それを忘れてはならない。

 子どもは小学三〜四年生ごろ、親離れをし始める。このころ子どもは自分だけの部屋を求め
るようになる。部屋を与えるとしたら、そのころを見計らって用意するとよい。それ以前につい
ては、ケースバイケースで考える。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(59)

●動機づけの四悪

 子どもを勉強を遠ざける四悪に、無理、強制、比較、それに条件がある。能力を超えた学習
を押しつけることを無理。時間や量を決め、それを押しつけることを強制。無理や強制が日常
化すれば、子どもが勉強嫌いになって当然。さらに……。

 「A君はもうひらがな書けるのよ」とか、「お兄ちゃんはあなたの年齢のときには、算数は一〇
〇点ばかりだったのよ」というのを、比較という。この比較は一度クセになると、あらゆる面です
るようになるから注意する。勉強嫌いになるだけならまだしも、子どもから「私は私」というもの
の考え方をうばう。

 日本人は本当に他人の目をよく気にする。長くつづいた封建時代の名残(なごり)とも言え
る。他人と違ったことをすることができない。あるいは自分と違ったことをする人を、排斥する。
そして幸福感も相対的なもので、「隣の人よりいい生活だから、幸せ」「隣の人より悪い生活だ
から、不幸」というような考え方をする。ここでいう「比較」というのは、そういう日本人独特のも
のの考え方と深く結びついている。

 つぎに「条件」。「成績があがったら、自転車を買ってあげる」「100点をとったら、お小遣いを
1000円あげる」など、何かの条件をつけて子どもを釣るのを、条件という。

この条件も、一度クセになると、習慣になるから注意する。が、それだけではすまない。条件が
日常化すると、子どもから「勉強は自分のためにするもの」という意識をうばう。そして子どもが
小さいうちはまだしも、この条件はやがてエスカレートし、中学生になると、バイク。さらに大学
生になると、自動車となる。そうなればなったで、苦労するのはあたな自身だ。

実際、今、親に感謝しながら高校に通っている高校生はいない。大学生でも少ない。中には、
「親がうるさいから大学へ行ってやる」と豪語する高校生すらいる。そうなる。

 子どものほうから何か条件をつけてくることもあるかもしれないが、そういうときは、「あなたの
ためでしょ」とはねのける。こういう毅然(きぜん)とした態度が、結局は子ども自立させる。

 ともかくも無理、強制、比較、それに条件は子どもを手っ取り早く勉強させるにはよい方法だ
が、それだけに弊害も大きい。

 



ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(60)

●子どもは人の父

 イギリスの詩人ワーズワース(1770〜1850)は、次のように歌っている。

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
 私が子どものころも、そうだった。
 人となった、今もそうだ。
 願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
 子どもは人の父。
 自然の恵みを受けて、それぞれに日が
 そうであることを、私は願う。

 原詩は、「The Child is Father of the Man」となっている。私はその「Man」の訳に苦しんだ。こ
こでは、ほかの訳者と同じように、「人」と訳したが、どうもしっくりこない。「おとな」、あるいは
「人格者」と訳すこともできる。つまりワーズワースがこの詩の中で言わんとしていることは、子
ども時代がその人の原点であるということ。

いくらおとなになっても、その子ども時代の美しい心や純粋な心を忘れてはいけないというこ
と。もっと言えば、人はおとなになるにつれて、知識や経験はたしかに豊富になるが、ともすれ
ばそれと引き換えに、子ども時代に覚えた感動を踏みにじってしまう。ワーズワースは、そうで
あってはいけない、と。

 私はこの詩に出会ってからというもの、この詩をずっと子育て評論の座右の銘としている。そ
してそのつど、ふとどこかで袋小路に入りそうになったとき、この詩を思い出して、自分を取り
戻すようにしている。たしかに子どもは未熟で未経験だが、決して幼稚ではない。自尊心もあ
れば、嫉妬心もある。むしろ人はおとなになればなるほど、悪賢く、そして醜くなっていく。その
ため失うものも多い。

 「子ども的」であることは、何ら恥ずべきことではない。子ども的であるということは、それ自体
すばらしいことなのだ。あなたも一度、空の虹を見ながら、童心に返って、「わーっ」と大声をあ
げて感動してみたらどうだろう。遠慮することはない。「わーっ」とだ。あなたも子どものころを純
粋さを、心のどこかに感ずるはずだ。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(61)

●子どもは水

 私は幼児教育の世界に入って、まずしたことは、アンケート調査だった。そのアンケート調査
だけを、ただひたすら繰り返した。で、その調査の中でも、最初にしたのが、つぎのような調査
だった。

私は静かな住宅団地に住む子どもは静かで、街中の交通のはげしいところに住む子どもは
騒々しいと思っていた。それを証明したくて、調査をした。が、結果はハズレ。住環境と子ども
の静かさ、騒々しさはまったく関係がないことがわかった。静かな環境に住んでいる子どもで
も、騒々しい子どもはいくらでもいた。騒々しい環境に住んでいる子どもでも、静かな子どもは
いくらでもいた。

 子どもというのは、物理的な環境の変化、たとえば引っ越しなどによっては、ほとんど影響を
受けない。とくに満4・5歳までの子どもは、あたかも水のように自在に形を変えて、それぞれの
環境に適応していく。むしろ引っ越しなどは、子どもによい影響を与えることが知られている。
よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言うが、それもその一つ。そんなわけで、私は『子どもは
水』という格言を考えた。が、子どもは、愛情の変化には、たいへん敏感に反応する。こんなこ
とがあった。

 俗にいうツッパリ症状というのがある。目つきが鋭くなる、肩をいからせて歩く、ものの考え方
が投げやりになり、言動が乱暴になるなど。私が経験した中での最年少は、小学一年生のI君
だった。彼は夏休みを境に、ここでいうツッパリ症状が出てきた。そこで母親に聞くと、母親は
「思い当たることはありません」と。そこでさらに調べてみると、こういうことだった。

 それまでI君は、両親の間で、「川」の字になって寝ていた。が、夏休みに入って子ども部屋が
でき、I君はそこでひとりで寝ることになった。I君はI君なりに、親の愛情が変化を感じたのかも
しれない。私がそれを指摘すると、母親は「そんなことで!」と言ったが、もとのようにまた床を
移すと、ツッパリ症状もウソのように消えた。

 家庭騒動、離婚騒動など、子どもの側からみて愛情の変化と見られるような行動は、慎重に
するにこしたことはない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(62)

●子どもは見るもの、聞くものではない

 子どもはうるさいのが当たり前。ワーワーと自己主張する。ワーワーと驚いたり、親に反発し
たりする。時には大声で歌を歌ったり、笑ったりする。それが子どものふつうの姿と考えてよ
い。そういう意味で、『子どもは見るものでは、聞くものではない』という。イギリスの格言であ
る。

 これに対して静かな子どもは、それだけで何らかの心の問題を疑ってみたほうがよい。たと
えば親の神経質な過干渉が日常的につづくと、子どもの心は内閉する。さらに症状が進むと、
精神の発達そのものが阻害され、心が萎縮する。今、幼稚園の年中児でも、皆がドッと笑うよ
うなときでも、大声で笑えない子どもが、10人のうち、1人2人はいる。

 ところで日本では、静かで、先生の言うことをハイハイと聞く子どもほど「いい子」と考える傾
向が強い。少なくとも2、30年前までは、そう考えられていた。今でも、そういうふうに思ってい
る先生や親は多い。しかしそれは世界の常識ではない。

たとえば日本では、学校の先生は、「わかったか?」「では、つぎ!」と授業を進める。しかしア
メリカやオーストラリアでは、「君はどう思う?」「それはいい考えだ」と言って授業を進める。日
本では、先生が教えたことをスラスラとできる子どもを優秀な生徒と考え、アメリカやオーストラ
リアでは、自分の考えをしっかりともち、それを発言できる子どもを、優秀な生徒と考える。

科目にしても、向こうには「ドラマ(演劇)」という科目があるくらいだ。さらに日本では子どもを学
校へ送り出すとき、「先生の話をしっかりと聞くのですよ」と言う。しかしアメリカでは(特にユダ
ヤ系の家庭では)、「わからないところがあったら、先生によく質問するのですよ」と言う、などな
ど。日本で常識になっていることでも、外国ではそうでないということはいくらでもある。

 ただし同じ騒々しいといっても、キャーキャーと奇声をあげて騒ぐというのは、別問題である。
以前、オーストラリアの幼稚園を訪問したことがあるが、日本の子どもたちとは比較にならない
ほど静かだったのには驚いた。サワサワとした風の音すら聞こえていた。「子どもはうるさいも
の」と言っても、その内容は国によってかなり違う。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(63)※

●学力は低下している?

 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・1999年)の調査によると、日本の中学生の
学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第5位。以下、オースト
ラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、台湾、シンガポールに次
いで第3位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシア、と。

この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せて
いる。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与え
るのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。

ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(48%)。「理科が好き」と答
えた割合は、韓国についでビリ2であった(韓国52%、日本55%)。学校の外で勉強する学外
学習も、韓国に次いでビリ2。一方、その分、前回(95年)と比べて、テレビやビデオを見る時
間が、2・6時間から3・1時間にふえている。

で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表
している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。

この20年間(1982年から2000年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小学6年生
で、80・8%から、61・7%に低下。分数の割り算は、90・7%から66・5%に低下。小数の掛
け算は、77・2%から70・2%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、38・3%から32・8%
に低下。全体として、68・9%から57・5%に低下している(同じ問題で調査)、と。

いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見。あるいは文部科学省を批判した
意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑いようがな
い。

同じ澤田教授の調査だが、小学6年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子どもが、200
0年度に30%を超えた(1977年は13%前後)。反対に「算数が好き」と答えた子どもは、
年々低下し、2000年度には35%弱しかいない。原因はいろいろあるのだろうが、「日本の教
育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてト
ップクラスを維持していると言える」というのは、もはや幻想でしかない。




 
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(64)

●子どもを飾らない

 「私はどこの中学でもいいのですが、息子がどうしてもA中学と言いますので、先生、息子の
願いをかなえてあげてください」と。あるいは「学校の先生はB中学でも合格できると言っている
のですが、息子はどうしてもC中学のほうがいいと言って私の言うことを聞きません。しかたな
いので、C中学にしました」と。さらにこんな例もある。

 かなり情緒が不安定な女の子(小6)がいた。心はいつも緊張状態にあって、ささいなことで
突発的に泣き叫んだり、暴れたりした。が、母親の悩みはそのことではなかった。ある日私に
こう言った。「ああいう子でしょ。中学の面接試験のときだけでも、落ち着いていてくれればいい
のですが……」と。

 子どもを飾る親は少なくない。見栄やメンツ、世間体が親をして、子どもを飾らせる。「近所の
人に子どもの制服を見られると恥ずかしいから」という理由で、毎朝、駅まで子どもを送り迎え
していた親がいた。あるいは高校の進学校別懇談会に、やはり「恥ずかしいから」という理由
で、一度も出席しなかった親もいた。

不登校児になった子どもを、親戚の叔父に預けてしまった親もいた。こうした親の気持ちはわ
からないわけではないが、しかしこうした卑屈な気持ちは、親子の間に大きなキレツを入れるこ
とになる。どう入れるかは別のところで書くとして、「子どもは飾らない」。ありのままを認めて、
ありのままを受け入れる。

そして子どもは子どもで、ありのままの自分を、外の世界に向かって見せることができるように
する。つまりありのままの「自分」に自信をもたせるようにする。こうした姿勢が、子どもの中に
「私は私」という意識を育てる。また「私は私」と堂々と生きるところから、その人の価値が生ま
れる。

 「飾る」ということは、他人の目を意識した生き方をするということ。しかし他人の目の中で生
きれば生きるほど、結局は「私」を犠牲にすることになる。が、これほどつまらない人生はな
い。他人から見ても、これほど見苦しい生き方もない。たとえば見栄やメンツにこだわればこだ
わるほど、その分、時間をムダにする。世間体を気にすればするほど、結局はその世間から
笑われる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(65)

●神経症は親を疑う

 子どもの神経症(心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害)は、ま
さに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑う。その神経症は、大きくつぎの
三つに分けて考える。

(1)精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状
(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩
む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反
対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発
熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で
の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと
らえて警戒する。

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無
関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出
歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。

 こうした神経症が表れると、親は園や学校、さらには友人関係を疑うが、まず疑うべきは、家
庭環境である。こんな母親がいた。学校でその子ども(小四男児)の吃音(どもり)が笑われた
というのだ。その母親は「教師の指導が悪いからだ」と怒っていたが、その子どもにはほかに、
チックによる症状(目をクルクルさせる)もあった。問題は「笑われた」ということではなく、現に
今、吃音があり、チックがあるということだ。たいていは親の神経質な過干渉が原因で起こる。
なおすべきことがあるとするなら、むしろそちらのほうだ。

子どもというのは、仮に園や学校でつらい思いをしても、(またそういう思いをするから子どもは
成長するが)、家庭の中でキズついた心をいやすことができたら、こうした症状は外には出てこ
ない。

 神経症が子どもに現れたらら、子どもの側からみて、親の存在を感じないほどまでに、家庭
環境をゆるめる。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子どもがひとりでぼんやりと
できる時間と場所を大切にする。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(66)

●子どもは環境で包む

 私はときどき、たとえば小学5、6年生の子どもを、中学生のクラスに座らせて勉強させること
がある。何かを教えるのではなく、「好きな勉強をしなさい。本読みでも、宿題でもいい」と言っ
て、子どもの自由に任せる。(クラスといっても、私のばあいは、一クラス、5〜6名の小さなクラ
スだが……。)この方法は、下の子どもが上の子どもの勉強グセを受け継ぐには、たいへん効
果的である。

週一回程度でも、数か月もすると、下の子どもは上の子どもを見習って、黙々と勉強するよう
になる。実際、私はこの方法で、ツッパリ始めた子どもをなおしたこともあるし、騒々しくて落ち
着かない子どもをなおしたことがある。

 それはそれとして、子どもを指導したいと考えたら、環境で包む。……包むことを考える。釣
り好きの親の子どもは、釣りが好きになる。読書好きの親の子どもは、読書が好きになる。社
交的な親の子どもは社交的になる。しかし押しつけはいけない。親が本を読まないのに、「うち
の子はどうして本を読まないでしょう」は、ない。

子どもというのはそういうもので、親の考え方や感じ方をそのまま受け継いでしまう。たとえば
今あなたが、「男なんてつまらないもの」とか、「うちの夫はだらしない」などと思っていると、あな
たの娘もそう思うようになる。これは一つのテストだが、こんなことをしてみると、親子の密着度
を知ることができる。

 紙と鉛筆を用意し、まずあなたが山、川、木を二本、家、雲、太陽を描いてみる。そしてその
絵をどこかへ隠し、つぎに子どもに、同じように山、川、木を二本、家、雲、太陽を描かせてみ
る。子どもの絵ができあがったら、あなたの絵と見比べてみる。親子の密着度が高い親子ほ
ど、実によく似た絵をかく。年長児で30組に1組は、ほとんど同じ絵を描く。

 子どもに何かをさせようと思ったら、まず自分でしてみる。環境で包む。そういう姿が、子ども
を前向きに伸ばす。ただし一言。あなたが努力しても、子どもがそれに乗ってこなければ、それ
はそれでおしまい。あのレオナルド・ダ・ビンチもこう言っている。『食欲がない時に食べれば、
健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶をそこない、また記憶されない』と。

何ごとも無理強いは禁物。子どもというのは、親の期待を一枚ずつ剥ぎ取りながら成長するも
の。そういう前提で、子育てを考えること。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(67)

●休息を求めて疲れる

 「休息を求めて疲れる」。イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞にもなっている格言
でもある。「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、歳をとってしまい、結局は何もできな
くなる」という意味である。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。

 ところでこんな人がいる。もうすぐ定年退職なのだが、退職をしたらひとりで、四国八八か所
を巡礼をしてみたい、と。そういう話を聞くと、私はすぐこう思う。「ならば、なぜ今、しないの
か?」と。

 私はこの世界に入ってからずっと、したいことはすぐしたし、したくないことはしなかった。名誉
や地位、それに肩書きとは無縁の世界だったが、そんなものにどれほどの意味があるというの
か。私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐために働く。これが原点だ。

だから○○部長の名前で稼いだ100万円も、幼稚園の講師で稼いだ100万円も、100万円
は100万円。問題は、そのお金でどう生きるか、だ。サラリーマンの人には悪いが、どうしてそ
うまで会社という組織に、義理立てをしなければならないのか。

 未来のためにいつも「今」を犠牲にする。そういう生き方をしていると、いつまでたっても自分
の時間をつかめない。たとえばそれは子どもの世界を見ればわかる。幼稚園は小学校の入学
のため、小学校は中学校や高校への進学のため、またその先の大学は就職のため……と。
社会へ出てからも、そうだ。子どものときからそういう生活のパターンになっているから、それを
途中で変えることはできない。いつまでたっても「今」をつかめない。つかめないまま、人生を終
わる。

 あえて言えば、私にもこんな経験がある。学生時代、テスト週間になるとよくこう思った。「試
験が終わったら、ひとりで映画を見に行こう」と。しかし実際そのテストが終わると、その気力も
消えてしまった。どこか抑圧された緊張感の中では、「あれをしたい、これをしたい」という願望
が生まれるものだが、それから解放されたとたん、その願望も消える。

先の「四国八八か所を巡礼してみたい」と言った人には悪いが、退職後本当にそれをしたら、
その人はよほど意思の強い人とみてよい。私の経験では、多分、その人は四国八八か所めぐ
りはしないと思う。退職したとたん、その気力は消えうせる……?

 大切なことは、「今」をどう生きるか、だ。「今」というときをいかに充実させるか、だ。明日とい
う結果は明日になればやってくる。そのためにも、「休息を求めて疲れる」ような生き方だけは
してはいけない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(68)

●こまかい指導は、子どもをつぶす

 文字を覚えたての子どもは、親から見てもメチャメチャな文字を書く。形や書き順は言うにお
よばず、逆さ文字、鏡文字など。このとき大切なことは、こまかい指導はしないこと。

日本人はとかく「型」にこだわりやすい。トメ、ハネ、ハライがそれだが、今どき毛筆時代の名残
をこうまでこだわらねばならない必要はない。……というようなことを書くと、「君は日本語がも
つ美しさを否定するのか」と言う人が必ずいる。あるいは「はじめに書き順などをしっかりと覚え
ておかないと、あとからたいへん」と言う人がいる。

しかし文字の使命は、自分の意思を相手に伝えること。「美しい」とか「美しくない」というのは、
それは主観の問題でしかない。また、これだけパソコンが発達してくると、書き順とは何か、そ
こまで考えてしまう。

 10年ほど前、オーストラリアの小学校を訪れたときのこと。壁に張られた作文を見て、私は
びっくりした。スペルはもちろん、文法的におかしなものがいっぱいあった。そこで私がそのクラ
スの先生(小3担当)に、「なおさないのですか」と聞くと、その先生はこう言った。

「シェークスピアの時代から正しいスペルなんてものはないのです。音が伝わればいいのです。
またルール(文法)をきつく言うと、子どもたちは書く意欲をなくします」と。

 私もときどき、親や祖父母から抗議を受ける。「メチャメチャな文字に、丸をつけないでほし
い。ちゃんとなおしてほしい」と。しかしこの時期大切なことは、「文字はおもしろい」「文字は楽
しい」という思いを子どもがもつこと。そういう「思い」が、子どもを伸ばす原動力となる。

このタイプの親や祖父母は、エビでタイを釣る前に、そのエビを食べようとするもの。現に今、
「作文は大嫌い」という子どもはいても、「作文は大好き」という子どもは少ない。よく日本のアニ
メは世界一というが、その背景に子どもたちの作文嫌いがあるとするなら、喜んでばかりはお
れない。

 ある程度文字を書けるようになったら、少しずつ機会をみて、なおすところはなおせばよい。
またそれでじゅうぶん間に合う。そういうおおらかさが子どもを勉強好きにする。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(69)

●子をもって知る子育ての深さ

 「家のしつけがなっていない」「親がだらしない」などと平気で口にする人は、自分で子育てを
したことがない人とみてよい。自分で子育てをしてみると、この考えが消える。「クレヨンしんち
ゃん」の中に、こんなシーンがある。

 向こうから二人の高校生が歩いてくる。それを見た母親のみさえが、「何よ、あのかっこうは。
親の顔を見てみたい」と。するとその高校生たちが、しんのすけを見て、こう叫ぶ。「何だ、こい
つ。親の顔を見てみたい」※と。みさえがその方向を見ると、しんのすけがチンチン丸出しで歩
いてくる……。

 思うようにならないのが子育て。もちろん成功する人もいるが、失敗する人のほうがはるかに
多い。しかし成功したからといって、それはその人の力というよりは、子ども自身の力によると
ころが大きい。反対に、失敗したからといって、その人の責任ではない。その人はその人なり
に、一生懸命しているのだ。一生懸命しても、あるいは皮肉なことに一生懸命すればするほ
ど、子どもだけがどんどんわき道に入ってしまう……。子育てというのは、もともとそういうも
の。

 そこでどうだろう、こう考えたら。失敗を失敗と思うから失敗であって、子育てには失敗などな
い、と。たとえばこんな教授がいた。それまでは受験雑誌などにエッセイを書いていたし、彼の
書いた「受験攻略法」(仮称)は、数10万部を超えるベストセラーになった。が、彼の息子のう
ち、長男は京大に入ったが、二男は京都のある私立大学に入った。それについてその教授
は、「私は二男を、東大もしくは京大へ入れることができなかった。教育に失敗した」と、「失敗」
という言葉を使って、「受験攻略法」について書くのをやめてしまった。「失敗」という言葉がそう
いうふうにも使われることもある。

 自分の子育てにはもちろんのこと、他人の子育てにも謙虚であること。この世界には、こんな
鉄則がある。「他人の子育てを笑うものは、いつか自分が笑われる」と。たとえばAさんはいつ
も、その出身高校でその人を判断していた。「あの親は結構、教育熱心でしたけど、息子さん
はC高校ですってねエ」と。

しかしいざ自分の娘(中3)が受験となったときのこと。娘にはその力がなかった。だからAさん
は、毎晩のように娘と、「勉強しなさい」「うるさい」の大乱闘を繰り返すことになった。こうした例
はあなたのまわりにも、一つや二つは必ずあるはずだ。だから繰り返す。他人の子育てには
謙虚であること。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(70)

●親は自分の過去を再現する

 子どもが受験期を迎えると、たいていの親は言いようのない不安感に襲われる。自分自身が
自分の受験期にいやな思いをした人ほどそうで、記憶というのは、そういうもの。親は子育てを
しながら、自分の過去を再現する。

 もっとも親が不安になるのは、親の勝手だが、その不安感を子どもにぶつけてはいけない。
ぶつけてもいけない。今はそういう時代ではない。むしろ受験そのものがもつ弊害というか、子
どもの心への悪影響のほうが問題にされ始めている。親子関係そのものを破壊することも多
い。

しかし親子関係を犠牲にするほどの価値が受験にあるかというと、それは疑わしい。日本人が
「何が本当に大切で、何が大切でないか」ということを、少しずつだが考え始めている。その一
つの表れとして、一九九九年に文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、約
40%が「家族」をあげた。さらに1995年ごろを境として、全国の塾数、塾の講師数ともに減少
に転じている(通産省資料)。長引く不況と少子化が原因だが、それ以上に、「エリートの凋落
(ちょうらく)」が大きな影を落としている。

Y証券会社という日本を代表するような証券会社が倒産したとき、そのときの社長が、「みん
な、私が悪いんです」と、子どものように泣いてみせた。そう、あのとき日本のエリート神話が崩
壊した!

 もちろん子育てには不安がついてまわる。子どもの将来はだいじょうぶだろうか、と。そして
一方、この日本には不公平格差が歴然としてある。そのコースに入った人は、必要以上に得
をし、そうでない人は、公的な保護をまったくといってよいほど受けない。こうした不公平感を親
たちは日常的に感じているから、ついつい子どもには「勉強しなさい」と言ってしまう。しかしこ
の時点でも、おかしいのは社会であって、子どもではない。戦うべき相手は社会であって、子ど
もではない。

 話がそれたが、親は子育てをしながら、結局は、子どもの年齢ごとに自分の子育てを再現す
る。自分が受けた子育てを繰り返すといってもよい。しかしそれがよいものであれば問題はな
いが、そうでないものだったら、再現しないほうがよい。

いや、本当の問題はこのことではない。本当の問題は再現しているということにすら気づかな
いまま、自分の中の「過去」に振りまわされることだ。そしていつも同じような失敗を繰り返す。
あなたもそういう視点で、一度あなたの心の中をのぞいてみてほしい。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(71)

●さえを伸ばす

 子どもの頭をよくする方法というのは、そんなにないが、その一つが、この「さえを伸ばす」。
ここでいう「さえ」というのは、子どものひらめきや直感力、洞察力を言うが、頭のやわらかい子
どもは、さえが鋭く、しかも頻繁に現れる。

 たとえば幼児との会話で、「電線にさわると、真っ黒こげになってしまう」と話したときのこと。
一人の子ども(年長児)が、すかさずこう言った。「わかった、だからカラスは黒いんだ」と。こう
いうのをさえという。学習に限らない。

遊びにしても、「ああすればいい」とか、「こうすればいい」とか、つぎつぎとアイディアを出してく
る。こういうさえを見せたら、おとなの立場で意見を加えたりしながらも、そのさえを伸ばすよう
にする。「それはおもしおろいね」「そればすばらしい考えだ」とかなど。こんな子ども(四歳男
児)もいた。

 ある日客がきたとき、その子どもがスリッパを出して、その客にほめられたというのだ。それ
でその子どもはすっかり気をよくしてしまい、それ以来、集金の客がきてもスリッパを出したり、
お茶を出したりするようになったという。「うちの子はよく気が回るのです」と母親は笑っていた
が、「よく気が回る」というのも、ここでいうさえと考えてよい。

 反対に頭のかたい子どもには、このさえがない。何かの説明をしても、そのワクの中だけで
考えようとする。いわゆる融通のきかない子どもといった感じになる。決められたことや、言わ
れたことはきちんとするものの、それ以外のことはしようとしないなど。そしてひとりにしておく
と、「退屈だ」「つまらない」と言い出す。

 こうしたさえを伸ばすコツは、子どもの視点で、「あれっ!」と思うような意外性を大切にする。
お金をかけろということではない。木の葉をかんで、味を調べさせたり、石を拾ってきてペイン
ティングしてみるなど。おもちゃのトラックにお寿司を並べた母親がいたが、それでもよい。子ど
もの側から見て、子どもの頭の中でかたまりつつある常識をいつも破るようにする。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(72)

●砂糖は白い麻薬

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的
にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えると
わかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)である(アメ
リカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。

つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大量に分
泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、それが脳の
抑制命令を阻害する、と。

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないも
のを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの
必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10〜15グラム。この量はイ
チゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいはキーキー
と声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カルシウム、マグネ
シウムの多い食生活に心がけながら、砂糖は白い麻薬と考え、砂糖断ちをしてみるとよい。子
どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落ち着く。

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。と言っ
ても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。

たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっと
りとした粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわ
らかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保
つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶
いたりこねたりするとき、水によく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰
を入れて対処する。

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要
なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャ
ンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲
労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーな
どの原因になっている」とも。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(73)

●参観は「動」と「静」を見る

 よい授業かどうかは、「動」と「静」をみる。「動」のときは、子どもたちが活発に意見を言った
り、笑ったりする。「静」のときは、子どもたちが一転して静かに、黙々と作業をする。そういう授
業をよい授業という。またそういう指導ができる教師を、すぐれた教師という。

が、そうでない授業はそうでない。そうでない教師はそうでない。「動」と「静」の区別がつかない
ばかりか、いつもダラダラと時間だけが過ぎていくといった感じになる。

 もっともこういう「動」と「静」がはっきりとした、つまりメリハリのある授業をするということは、
教師にとってもかなりたいへんなことで、それだけの準備と労力が必要である。実際、小学校
の低学年児を相手に、真剣に授業をしたら若い教師でもヘトヘトになる。子どもたちのもつエネ
ルギーは想像以上のものだし、もともと教育というのは、そういうもの。

 こうした基準は、あなたの子どものおけいこ塾や学習塾を選ぶときにも応用できる。さらに保
育園や幼稚園を選ぶときにも応用できる。私はこういう評論活動をしているため、よく「どこの
幼稚園がいいですか」と聞かれる。立場上、名前を出すことはできないが、一つの目安はあ
る。つぎのような点を見ると、よい保育園や幼稚園を選ぶことができる。

(1)ピカピカにみがかれたような園、子どものにおいがしない幼稚園は避ける。

(2)園長がスーツを着て、職員室にふんぞりかえっているような幼稚園は避ける。

(3)やることだけは派手だが、ポリシーを感じない幼稚園は避ける。

 反対によい園は、

(1)現場の先生たちが生き生きしている園。

(2)休み時間になると、子どもたちが先生のまわりに集まってワイワイと喜んでいる幼稚園。

(3)いたるところに子どものにおい(落書きや、いたずら、遊具など)がプンプンとする園。

(4)子どもの視線で見て、どこか楽しさを覚える幼稚園。

(5)園長が作業服などを着て、率先して指導している園。

 以上あくまでも参考的意見として。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(74)

●30分で5分

 子どもの勉強は、30分やって5分と思うこと。つまり30分の間で、5分間だけ勉強らしきこと
をすればよいとみる。家庭でする勉強というのは、しょせんそういうもの。小学1年生や2年生
が、家へ帰ってから、一時間も二時間も、黙々と漢字の書き取りをするほうがおかしい。もしそ
うなら、心の病気を疑ってみたほうがよい。

 無理や強制が日常化すると、子どもは勉強から逃げるようになる。これは当然のことだが、さ
らにその症状が進むと、(1)フリ勉、(2)時間つぶしがうまくなる。フリ勉というのは、いかにも
勉強していますという様子だけを見せる勉強法をいう。が、その実、何もしていない。

たとえば一時間で、計算問題を数問解くだけ、あるいは英文を数行書くだけなど。つぎに時間
つぶし。つめをほじったり、鉛筆をかんだりして、時間ばかりムダにする。先生や親の視線を感
ずると、そのときだけ、いそいそと本のページをめくってみせたりする。

 こうしたフリ勉や時間つぶしをするようになったら、家庭教育のあり方をかなり反省したほうが
よい。……というより、一度、こういう症状(これを「空回り」という)が身につくと、それをなおす
のは容易ではない。たいてい(親が叱る)→(ますますフリ勉、時間つぶしがうまくなる)の悪循
環の中で、子どもは勉強から遠ざかっていく。

 要は集中力の問題。ダラダラと時間をかけるよりも、短時間にパッパッと勉強を終えるほう
が、子どもの勉強としては望ましい。実際、勉強ができる子どもというのは、そういう勉強のし
方をする。私が今知っている子どもに、K君(小4男児)という子どもがいる。彼は中学一年レベ
ルの数学の問題を、自分の解き方で解いてしまう。そのK君だが、「家ではほとんど勉強しな
い」(母親)とのこと。「学校の宿題も、朝、学校へ行ってからしているようです」とも。

 ついでながら静岡県の小学5、6年生についてみると、家での学習時間が30分から1時間が
43%、1時間から1時間30分が31%だそうだ(静岡県出版文化会発行「ファミリス」県内100
名について調査・2001年)。
 

 


ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(75)

●幸せにするのが最高の教育

 あなたはいつかあなたの子どもに幸せな家庭を築いてほしいと願っている。そうであるなら、
今、あなたは子どもに、幸せな家庭というものがどういうものか、夫婦とはどういうものか、親子
とはどういうものかを見せておく。見せるだけでは足りない。子どもの体にしみこませておく。

そういう「しみこみ」があってはじめて、子どもが自分で家庭をもったとき、自然な形で、幸せな
家庭を築くことができる。「幸せにするのが最高の教育」(イギリスの教育格言)というのはそう
いう意味。

 子育ては本能ではなく、学習によってできるようになる。しかし学習だけでは足りない。経験
が必要である。たとえば一般論として人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子
育ての情報が脳にインプットされていないからである。人間の子どももしかり。

不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、「幸せな家庭を築こう」「理想的な親になろう」という気
負いが強く、かえって幸せな家庭づくりに失敗しやすい。ただ人間がほかの動物と違うところ
は、仮に不幸な家庭に育っても、親類や近所の家庭をのぞくことによって、自分の中に別の家
庭像、親像をつくることができるということ。だから自分の過去が不幸だったからといって、絶
望的になることはない。

問題は、不幸な家庭に育ったということではなく、そういう自分自身の心のキズに気づかないま
ま、それに振り回されること。そしていつまでも同じ失敗を繰り返すことである。たとえば子ども
に暴力を振るう親というのは、自分自身も親に暴力を振るわれた経験をもっていることが多
い。それを世代伝播(でんぱ)というが、そういう形で繰り返す。もしあなたにそういう面があるな
ら、自分自身の過去はどうだったかと、静かに自分をみつめてみる。それでよい。この問題だ
けは、自分の中の心のキズに気づくだけでよい。時間はかかるが、それでなおる。

 「幸せ」といっても、もちろん子どもを王様にすることではない。子どもの言いなりになるという
ことでもない。「幸せな家庭」というのは、家族が理解しあい、いたわりあい、信じあい、励まし
あい、なぐさめあい、助けあい、守りあい、教えあう家庭をいう。そういう家庭で子どもを包む。
それが「最高の教育」と。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(76)

●自慰は笑って見過ごせ

 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。6歳
になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなって
いるのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつけるよ
うに感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいのでし
ょうか」(32歳母親)と。

 フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に分けている。(1)口唇期……口の中にいろい
ろなものを入れて快感を覚える。(2)肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に
興味を示したり、そこをいじったりする。(3)男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心
をもつようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレ
ス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為
をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自
慰もその一つと考える。

つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレスの原因(ストレッサー)
となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふさぎ込み、ぐずぐ
ず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)をともなうことが多い。そ
のため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を悪化させることもある
ので注意する。

さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自分
の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情緒
障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないこと
を言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗するそ
ぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。

 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サ
ラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。

 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうし
ても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることが
ある。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(77)

●生きることを原点に

 リチャード・マクドナルドという人がいた。10年ほど前に89歳でなくなったが、あのハンバー
ガーチェーンの「マクドナルド」の創始者と言えば、だれでも知っている。が、当のマクドナルド
氏自身は、早い時期にレストランの権利を別の人物に売り渡している。それについて生前、テ
レビのレポーターが、「損をしたと思いませんか」と聞いたときのこと。マクドナルド氏はこう答え
ている。「もしあのまま会社に残っていたら、今ごろはニューヨークのオフィスで、弁護士や会計
士に囲まれてつまらない生活をしていることでしょう。(こういう農場でのんびり暮らしている)今
のほうが、ずっと幸せです」と。 

 話は大きくそれるが、私には3人の息子がいるが、そのうちの2人をあやうく海でなくしかけた
ことがある。とくに二男は助かったのが奇跡としか言いようがない。そんなこともあって、私は二
男に何か問題があるたびに、「こいつは生きていてくれるだけでいい」と思いなおすことで、そ
れらの問題を乗り越えることができた。生きることを原点にしてものを考えるということは、そう
いうことをいう。

 私はマクドナルド氏の話を聞いて、大きな衝撃を受けた。日本人には信じられないような生き
方だが、アメリカやオーストラリアでは珍しくない。私の友人のピーター君も、宝石加工会社を
おこし、40数歳の若さで「輸出高ナンバーワン」で、オーストラリア政府から表彰されている。し
かしそののちまもなく権利を売り渡し、今はシドニー郊外で悠悠自適の隠居生活を楽しんでい
る。ほかにもこういう例は多い。よく知られた人物としては、ジェームズ・ルービン報道官がい
る。彼は妻の出産を理由に、ホワイトハウスの報道官を退任。今はロンドン郊外で「主夫業」
(報道)をしている。

 ものの考え方というのは相対的なものである。日本人が「あれっ!」と思うということがあれ
ば、ちょうどその反対のことで、彼らもまた同じように、「あれっ」と思うもの。アメリカ人やオース
トラリア人にしてみれば、日本人の生き方のほうが奇異に見えることだって多い。

……いや、だからといって日本人の生き方がまちがっているというのではない。日本人は日本
人で、今、精一杯がんばっている。こういう生き方しかできないといえば、それはし方ないこと
だ。しかし心の基本が、どこにあるかで生き方そのものも変わってくる。ものの考え方も変わっ
てくる。もちろん子育てのし方も変わってくる。仕事は大切だ。名誉も地位も肩書きも大切だ。
しかしそれは決して世界の常識ではない。世界の常識は、もう少し違った位置にある。

 要は、生きる本分を忘れないということ。忘れると、世界から日本はいつも奇異な目で見られ
る。個人について言えば、結局は自分の人生をムダにすることになる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(78)

●広い視野で日本を見る

 テレビの討論番組で、「ぼくたちはアジア人ではない! 日本人だ!」と叫んだ小学生たち
(5、6年生くらい)がいた。それに対して、アフリカ人の留学生が、「君たちの肌は黄色いでは
ないか」とたたみかけると、その小学生はさらに、こう叫んだ。「黄色ではない。肌色だ!」と(2
000年)。

 そこで私も小学校の高学年児を対象に、独自に調べてみた。結果、「日本人はアジア人」と
思っている小学生は1人もいないことがわかった(2001年、小学生約20人について調査)。
「欧米人とアジア人の中間」「欧米人に近いアジア人」、あるいは中には「ぼくたちは欧米人」と
答えた子どももいた。

 日本人はまちがいなく、アジア人である。しかしこの日本で教育を受けていると、そういう意識
が消える……らしい。また、そういう教育をしていない。30年前のことだが、私がオーストラリア
という国から日本を見ても、日本人の目は欧米には向いていたが、アジアにはまったくといって
よいほど向いていなかった。そういう日本人をさして、「黄色い白人」というニックネームすらつ
けられたが、日本人はそれをむしろ「誇り」に思ったようなところがある。(実際には、日本人は
バカにされたのだが……。)

 問題はなぜ、こういうゆがんだ民族意識をもってしまったかということ。その理由の一つが、
日本史を東洋史と切り離してしまったところにある。しかしこれは世界の常識ではない。

たとえばフランスの大学では、日本語学部や日本語学科は、朝鮮学部や朝鮮語学科の中に
組み入れられている。また欧米の大学では東洋学部というときは、中国研究を意味し、日本学
科はその一部でしかない。……いや、こう書くと、「君は日本人としての誇りを捨てるのか」とい
う人が必ずといってよいほど現れる。

しかし私は何も日本人を否定しているのではない。日本人はアジア人であり、その先では人間
だ。日本人が人間であるとか、アジア人であると言ったところで、日本人を否定したことにはな
らない。むしろ短絡的な民族主義は、えてして国粋主義に姿を変える。それがこわい。「日本人
はすばらしい」と思うのはその人の勝手だが、だからといって、その返す刀で、「他の民族は劣
っている」と考えるのは、まちがいだということ。

 これからの日本が、世界の中で生きていくためには、日本人自身が、もっと広い目で自分を
見なければならない。でないと、結局は、日本はいつまでたっても東洋の島国から抜け出るこ
とができないままになってしまう。私はそれを心配する。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(79)

●叱ったらほめる

 「かわいくば、五つ数えて三つほめ、二つ叱って、よき人となせ」と言ったのは、二宮尊徳だ
が、まさにその通り。子どもを叱ったら、必ずほめて仕上げる。「ほら、あなたもちゃんとできる
でしょ」と。決して叱りっぱなしにしてはいけない。これは子育ての大原則。……と言っても、実
際にその場になると難しいので、頭の中で格言として、この言葉を何度も繰り返しておくとよ
い。「叱ったら、ほめる」と。
 叱り方にもコツがある。

(1)子どもに威圧感を与えない……「威圧で閉じる、子どもの耳」と覚えておく。親がガミガミと
叱れば叱るほど、子どもの耳は閉じる。つまり叱っても意味がないということ。

(2)相手が幼児のときは、目線を幼児の目線まで落とす……親のほうが腰を落とし、幼児の
目線まで自分の目線を落とす。

(3)子どもの肩をしっかりと固定し、視線を子どもの目からはずさない……両手で子どもの肩
を両側からはさみ、肩をしっかりと固定する。そして叱るときは、子どもの目をしっかりと見つ
め、視線をはずさないようにする。

(4)言うべきことを繰り返す……怒鳴ったり、大声をあげたりしない。言うべきことをしっかりと
繰り返す。

 そして最後、というより、しばらく時間をおいて、子どもが叱ったことを守ったり、できるように
なったら、ほめて仕上げる。

 ふつう叱るときは内緒で、ほめるときは皆の前でする。古代ローマの劇作家のシルスも、『忠
告は秘かに、賞賛はおおやけに』と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少し
おおげさにほめる。そのとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあと
は繰り返しほめる。

 ただ、一つだけ条件がある。子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔や
スタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見て
くれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女
子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重に
する。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

 


 
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(80)

●子どもは甘えるもの

 スキンシップの重要性は言うまでもない。そのスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、
「甘える」という行為である。一般論として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受
けた子どもほど、甘え方が自然である。「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい
柔和な表情で、人に甘える。甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、
そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。

 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、育児
拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人
に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいる
のを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。
私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、
私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。

こんなショッキングな報告もある(2000年)。抱こうとしても抱かれない子どもが、4分の1もい
るというのだ。「全国各地の保育士が、預かった0歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じな
かった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、4分の1に及ぶことが、『臨床育児・
保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。

報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が3
3%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が2割前後見
られ、調査した6項目の平均で25%に達したという。

また保育士らの実感として、「体が固い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で2
0%の赤ちゃんから報告されたという。さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き
取り調査をしたところ、「育児から解放されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」など
の意識が強いことがわかったという。

また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を
使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)2
〜3割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不
足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。

 果たしてあなたの子どもはだいじょうぶだろうか。




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ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
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労 育児疲れ 子どもの世界 中日新聞 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Shizuoka/Shizuoka pref. Japan 次ページの目次から選んでく
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過剰行動 考える子ども がんこな子ども 緩慢行動 かん黙児 気うつ症の子ども 気負い 帰宅拒否 気難しい子 虐待 キレる子ども
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神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学
教育 体罰 多動児男児の女性化 断絶 チック 長男・二男 直観像素質 溺愛 動機づけ 子供の同性愛 トラブル 仲間はずれ 生
意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非
行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホ
ームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 
やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘
れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別
育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論
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司 林浩 幼児教育研究 子育て評論 子育て評論家 子どもの心 子どもの心理 子ども相談 子ども相談 はやし浩司 育児論 子育
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