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ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(121)

●温室育ちは風邪をひきやすい

 過保護といっても、内容はさまざま。食事面で過保護にするケース、行動面で過保護にする
ケースなど。しかしふつう過保護というときは、精神面での過保護をいう。子どもにつらい思い
や苦しい思いをさせない。あるいは子どもがそういう状態になりそうになると、すぐ助けてしまう
など。

「(近所の)A君は乱暴な子だから、あの子とは遊んではダメ」「あの公園にはいじめっ子がいる
から、あそこへは行ってはダメ」と、交友関係をせばめてしまうのも、それ。こういう環境にどっ
ぷりとつかると、子どもは俗にいう、『温室育ち』になる。

 過保護児の特徴は、(1)依存心が強く、自立した行動ができない。わがままな反面、目標や
規則が守れず、自分勝手になる。鉛筆を落としても、「鉛筆が落ちたア〜」と言うだけで、自分
では拾おうとしない。(2)幼児性が持続し、人格の「核」形成が遅れる。年齢に比べて幼い感じ
がし、教える側からみると、「この子はこういう子どもだ」というつかみどころがはっきりしない。
(3)何ごとにつけ優柔不断で、決断力がない。生活力も弱く、柔和でやさしい表情はしているも
のの、野性的なたくましさに欠ける。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑いながら、それをあ
け渡してしまうなど。そのためいじけやすく、くじけやすい。ちょっとしたことで、すぐ助けを求め
たりする。よく『温室育ちは外へ出ると、すぐ風邪をひく』というが、それは子どものこういう様子
を言ったもの。

親が子どもを過保護にする背景には、何らかの「心配」がある。この心配が種となって、親は
子どもを過保護にする。このテストで高得点だった人は、まずその種が何であるかを知る。もし
「うちの子は何をしても心配だ」ということであれば、不信感そのものと戦う。(過保護にする)→
(心配な子になる)→(ますます過保護にする)の悪循環の中で、あなたの子どもはますます、
その心配な子どもになる。

 ひとつの方法として、今日からでも遅くないから、「あなたはいい子」「あなたはどんどんいい
子になる」を子どもの前で繰り返す。最初はどこかぎこちない言い方になるかもしれないが、あ
なたがそれを自然な形で言えるようになったとき、あなたの子どもは、その「いい子」になる。そ
ういう意味では、子どもの心はカガミのようなもの。長い時間をかけて、あなたの子どもはあな
たの口グセどおりの子どもになる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(122)

●日本人と親意識

「私は親だ」という意識を「親意識」という。たとえば子どもに対して、「産んでやった」「育ててや
った」と考える人は多い。さらに子どもをモノのように考えている人さえいる。ある女性(60歳)
は私に会うとこう言った。「親なんてさみしいものですね。息子は横浜の嫁に取られてしまいま
したよ」と。息子が結婚して横浜に住んでいることを、その女性は「取られた」というのだ。

日本人はこの親意識が、欧米の人とくらべても、ダントツに強い。長く続いた封建制度が、こう
した日本人独特の親意識を育てたとも考えられる。

その親意識の背景にあるのが、上下意識。「親が上で、子が下」と。そしてその上下意識を支
えるのが権威主義。理由などない。「偉い人は偉い」と言うときの「偉い」が、それ。日本人はい
つしか、身分や肩書きで人の価値を判断するようになった。

ふつう権威主義的なものの考え方をする人は、自分のまわりでいつも、人間の上下関係を意
識する。「男が上、女が下」「夫が上、妻が下」と。たった1年でも先輩は先輩、後輩は後輩と考
える。そして自分より立場が上の人に向かっては、必要以上にペコペコし、そうでない人にはい
ばってみせる。私のいとこ(男性)にもそういう人がいる。相手によって接し方が、別人のように
変化するからおもしろい。

この親意識が強ければ強いほど、子どもにとっては居心地の悪い世界になる。が、それだけで
はすまない。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、心を隠す。
親は親で子どもの心をつかめなくなる。そしてそれが互いの間に大きなキレツを入れる……。

昔は「控えおろう!」と、三つ葉葵の紋章か何かを見せれば、人はひれ伏したが、今はそういう
時代ではない。親が親風を吹かせば吹かすほど、子どもの心は親から離れる。親意識の強い
人は、あなたというより、あなたが育った環境を思い浮かべてみてほしい。あなた自身もその
権威主義的な家庭環境で育ったはずである。

そして今、あなた自身があなたと親の関係がどうなっているか、それを冷静に見つめてみてほ
しい。たいていはぎくしゃくしているはずである。たとえうまくいっている(?)としても、それはあ
なた自身も権威主義的なものの考え方にどっぷりとつかっているか、あるいは親に対して服従
的もしくは親離れできていないかのどちらかである。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(123)

●子どもへの過干渉

 口うるさいことを過干渉と誤解している人がいるが、口うるさい程度なら、それほど子どもに
影響はない。過干渉が過干渉として問題になるのは、(1)親側に、情緒的な未熟性があると
き。親の気分で、子どもに甘くなったり、反対に極端にきびしくなったりするなど。とらえどころの
ない親の気分は、子どもの心を不安にする。ばあいによっては、子どもの心を内閉させ、さら
にひどくなると萎縮させる。年中児(満五歳児)でも、大声で笑えない子どもは、10人のうち、1
〜2人はいる。

 親が子どもを過干渉にする背景には、子育て全体にわたる不安や不満がある。そしてさらに
その背景には、何らかの「わだかまり」があることが多い。望まない結婚であったとか、望まな
い子どもであったとか、など。妊娠や出産時の心配や不安、さらには生活苦や夫への不満が
わだかまりになることもある。このわだかまりが形を変えて、子どもへの過干渉となる。

言いかえると、子どもに過干渉を繰り返すようであれば、そのわだかまりが何であるかを知る。
問題はわだかまりがあることではなく、そのわだかまりに気がつかないまま、わだかまりに振り
まわされること。同じパターンで同じ失敗を繰り返すこと。わだかまりは、あなたの心を裏から
あやつる。これがこわい。

 過干渉児の特徴としては、(1)子どもらしいハツラツさが消え、ハキのない子どもになる。(反
対に粗放化するタイプの子どももいるが、このタイプの子どもは、親の過干渉をたくましくやり
返した子どもと考えるとわかりやすい。よくあるケースとしては、兄が萎縮し、弟が粗放化すると
いうケース。)(2)自分で考えることが苦手になり、ものの考え方が極端になったり、かたよった
りするようになる。常識ハズレになり、してよいことと悪いことの区別がつかなくなるなど。薬のト
ローチを飴がわりになめてしまうなど。(3)心が萎縮してくると、さまざまな神経症を発症し、行
動ものろくなる。また仮面をかぶるようになり、いわゆる「何を考えているかわからない子」とい
った感じになる。

 過干渉タイプの人は、まず自分の情緒を安定させること。『親の情緒不安、百害あって一利
なし』と心得る。が、それより大切なことは、子どもをもっと信ずること。子どもというのは、なる
ようにしかならないものだが、同時に、何もしないでもちゃんと育っていくもの。昔の人は『親の
意見とナスビの花は、千にひとつもアダ(ムダ)がない』と言ったが、これをもじると、『親の不安
とナズビの茎は、千に一つも役立たない』となる。あなたが不安に思ったところで、子どもは悪く
なることはあっても、よくなることは何もない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(124)

●気負いは子育てを疲れさせる

 「いい親子関係をつくらねばならない」「いい家庭をつくらねばならない」と、不幸にして不幸な
家庭に育った人ほど、その気負いが強い。しかしその気負いが強ければ強いほど、親も疲れ
るが子どもも疲れる。そのため結局は、子育てで失敗しやすい……。

 子育ては本能ではなく、学習によってできるようになる。

たとえば一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。「子育ての情
報」、つまり「親像」が、脳にインプットされていないからである。人間とて例外ではない。「親に
育てられた」という経験があってはじめて、自分も親になったとき子育てができる。こんな例が
ある。

一人の父親がこんな相談をしてきた。娘を抱いても、どの程度、どのように抱けばよいのか、
それがわからない、と。その人は「抱きグセがつくのでは……」と心配していたが、彼は、彼の
父親を戦争でなくし、母親の手だけで育てられていた。つまりその人は父親というものがどうい
うものなのか、それがわかっていなかった。しかし問題はこのことではない。

 だれしも、と言うより、愛情豊かな家庭で、何不自由なく育った人のほうが少ない。そんなわ
けで多かれ少なかれ、だれしも、何らかのキズをもっている。問題は、そういうキズがあること
ではなく、そのキズに気づかないまま、それに振りまわされることである。よく知られた例として
は、子どもを虐待する親がいる。

このタイプの親というのは、その親自身も子どものころ、親に虐待されたという経験をもつこと
が多い。いや、かく言う私も団塊の世代で、貧困と混乱の中で幼児期を過ごしている。親たちも
食べていくだけで精一杯。いつもどこかで家庭的な温もりに飢えていた。そのためか今でも、
「家庭」への思いは人一倍強い。

が、悲しいことに、頭の中で想像するだけで、温かい家庭というのがどういうものか、本当のと
ころはわかっていない。だから自分の息子たちを育てながらも、いつもどこかでとまどってい
た。たとえば子どもたちに何かをしてやるたびに、よく心のどこかで、「しすぎたのではないか」
と後悔したり、「してやった」と恩着せがましく思ったりするなど、どこかチグハグなところがあっ
た。

 ただ人間のばあいは、たとえ不幸な家庭で育ったとしても、近くの人たちの子育てを見たり、
あるいは本や映画の中で擬似体験をすることで、自分の中に親像をつくることができる。だか
ら不幸な家庭に育ったからといって、必ずしも不幸になるというわけではない。そこで大切なこ
とは、たとえあなたの過去が不幸なものであったとしても、それはそれとしてあなたの代で切り
離し、つぎの世代にそれを伝えてはいけないということ。その努力だけは忘れてはならない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(125)

●学歴信仰

 「学歴信仰はもうない」という人もいる。が、身分による差別意識はまだ根強く残っている。ど
こにどう残っているかは、実はあなた自身が一番よく知っている。日本人は肩書きや地位のあ
る人にはペコペコする反面、そうでない人は、ぞんざいにあつかう。

またこの日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は受けない。そういう不
公平を親たちは毎日肌で感じている。だから親はこう言う。「何だかんだといっても、結局は学
歴ですよ」と。

 が、学歴で生きる人は、結局はその学歴で苦しむことになる。Y氏(45歳)がそうだ。Y氏はこ
とあるごとに、S高校の出身であることを自慢していた。会話の中に、それとなく出身校を織り
込むというのが、彼の言い方だった。「今度、S高校の同窓会がありまして」とか、「S高校の仲
間とゴルフをしましてね」とか。が、S氏の息子がいよいよ高校受験ということになった。が、息
子にはそれだけの「力」がなかった。だから毎晩のように、S氏と息子は、「勉強しろ!」「うるさ
い!」の大乱闘を繰り返していた。

 一方アメリカでは、入学後の学部変更は自由。大学の転籍すら自由。勉強したい学生は、よ
り高度な勉強を求めて、大学間を自由に転籍している。しかもそれが今、国際間でもなされ始
めている。彼らにしてみれば、最終的にどこで学位を認められるかは重要なことだが、そんな
わけで「出身校」には、ほとんどこだわっていない。

大学教育のグローバル化の中で、やがて日本もそういう方向に向かうのだろうが(向かわざる
をえないが)、少なくともこれからは学歴や、地位、それに肩書きをぶらさげて生きるような時代
ではない。それに親が受験競争に狂奔すればするほど、子どもの心はあなたから離れる。

たとえば子どもが受験期を迎えるまでは、日本のばあい、親子関係がほかの国とくらべても、
とくに悪いということはない。しかし子どもが受験期を迎えると、親子関係は急速に悪化する。
なぜそうなのかというところに、日本の子育ての問題点が隠されている。一度あなたも、自分
の心にメスを入れてみてはどうだろうか。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(126)

●溺愛ママ

 親が子どもに感ずる愛には、3種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。
本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえば母
親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本能的な愛
で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類はとっくの昔に滅
亡していたことになる。

つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛することをいう。
一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべればよ
い。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する親も、同じよ
うに考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに押しつけているだ
け。

三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間と意識し
たとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで決まる。英語
では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子どものできが悪くても、また
子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。その度量の広さこそが、まさに
真の愛ということになる。

それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいていは
親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭不和、
騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子どもを溺愛
するようになる。

 溺愛児は親の愛だけはたっぷりと受けているため、過保護児に似た症状を示す。(1)幼児
性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、(2)人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」とい
うつかみどころがはっきりしない)、(3)服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで
自分勝手)、(4)退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。
全体にちょうどひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペット
児」(失礼!)と呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくましさに欠ける。

 溺愛ママは、それを親の深い愛と誤解しやすい。中には溺愛していることを誇る人もいる。
が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと自分で確認
すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを生きがいにしな
い。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの3原則を守り、子育てから離れる。 



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ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(127)

●まじめ7割、いいかげんさ3割

 子育ては『まじめ7割、いいかげんさ3割』と覚えておく。これはハンドルの「遊び」のようなも
の。この遊びがあるから、車も運転できる。子育ても同じ。

たとえば参観授業のようなとき、親の鋭い視線を感じて、授業がやりにくく思うことがある。とき
にはその視線が、ビンビンとこちらの体をつらぬくときさえある。そういう親の子どもは、たいて
いハキがなく、暗く沈んでいる。ふつう神経質な子育てが日常的につづくと、子どもの心は内閉
する。萎縮することもある。(あるいは反対に静かな落ち着きが消え、粗放化する子どももい
る。このタイプの子どもは、神経質な子育てをやり返した子どもと考えるとわかりやすい。)

 子育ての3悪に、スパルタ主義、極端主義、それに完ぺき主義がある。スパルタ主義という
のは、きびしい鍛練を主とする教育法をいう。また極端主義というのは、やることなすことが極
端で、しかも徹底していることをいう。おけいこでも何でも、「させる」と決めたら、毎日、それば
かりをさせるなど。要するに子育ては自然に任すのが一番。

人間は過去数10万年もの間、こうして生きてきた。子育てのし方にしても、ここ100年や200
年くらいの間に、「変わった」と思うほうがおかしい。心のどこかで「不自然さ」を感じたら、その
子育ては疑ってみる。

 完ぺき主義もそうだ。このタイプの親は、あらかじめ設計図を用意し、その設計図に無理やり
子どもをあてはめようとする。こまごまとした指示を、神経質なほどまでに子どもに守らせるな
ど。このタイプの親にかぎって、よく「私は子どもを愛している」と言うが、本当のところは、自分
のエゴを子どもに押しつけているだけ。自分の欲望を満足させるために、子どもを利用してい
るだけ。

 子どもが学校に入り、大きくなったら、家庭の役割も、「しつけの場」から、「いやしの場」へと
変化しなければならない。子どもは家庭という場で、疲れた心をいやす。そのためにも、あまり
こまごまとしたことは言わないこと。

アメリカの劇作家のソローも、『ビロードのクッションの上に座るよりも、気がねせず、カボチャ
の頭のほうがよい』と書いている。こまごまとしたことが気になるなら、このソローの言葉の意味
を考えてみてほしい。

 また子どもに何か問題が起きたりすると、「先生が悪い」「友だちに原因がある」と騒ぐ人がい
る。しかしもし子どもが家庭で心をいやすことができたら、そのうちのほとんどは、そのまま解
決するはずである。そのためにも「いいかげんさ」を大切にする。「歯を磨かなければ、虫歯に
なるわよ」と言いながらも、虫歯になったら、歯医者へ行けばよい。痛い思いをしてはじめて、
子どもは歯をみがくようになる。「宿題をしなさい」と言いながらも、宿題をしないで学校へ行け
ば、先生に叱られる。叱られれば、そのつぎからは宿題をするようになる。そういういいかげん
さが、子どもを自立させる。たくましくする。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(128)

●自己中心ママ

自己中心性の強い母親は、「私が正しい」と信ずるあまり、何でも子どものことを決めてしまう。
もともとはわがままな性格のもち主で、自分の思いどおりにならないと気がすまない。

 このタイプの母親は、思い込みであるにせよ何であるにせよ、自分の考えを一方的に子ども
に押しつけようとする。本屋へ行っても、子どもに「好きな本を買ってあげる」と言っておきなが
ら、子どもが何か本をもってくると、「それはダメ、こちらの本にしなさい」と、勝手にかえたりす
る。子どもの意見はもちろんのこと、他人の話にも耳を傾けない。
 
 こうした自己中心的な子育てが日常化すると、子どもから「考える力」そのものが消える。依
存心が強くなり、善悪のバランス感覚が消える。「バランス感覚」というのは、善悪の判断を静
かにして、その判断に従って行動する感覚のことをいう。そのため言動がどこか常識ハズレに
なりやすい。たとえばコンセントに粘土を詰めて遊んでいた子ども(小1男児)や、友だちの誕
生日のプレゼントに、虫の死骸を箱に入れて送った子ども(小3男児)がいた。さらに「核兵器
か何かで世界の人口が半分になればいい」と言った男子高校生や、「私は結婚して、早く未亡
人になって黒いドレスを着てみたい」と言った女子高校生がいた。

 ところで母親にも、大きく分けて2種類ある。ひとつは、子育てをしながらも、外の世界に向か
ってどんどんと積極的に伸びていく母親。もう1つは自分の世界の中だけで、さらにものの考え
方を先鋭化する母親である。

外の世界に向かって伸びていくのはよいことだが、反対に自分のカラを厚くするのは、たいへ
ん危険なことでもある。こうした現象を「カプセル化」と呼ぶ人もいる。一度こうなると、いろいろ
な弊害があらわれてくる。

たとえば同じ過保護でも、異常な過保護になったり、あるいは同じ過干渉でも、異常な過干渉
になったりする。当然、子どもにも大きな影響が出てくる。50歳をすぎた男性だが、80歳の母
親の指示がないと、自分の寝起きすらできない人がいる。その母親はことあるごとに、「生まれ
つきそうだ」と言っているが、そういう男性にしたのは、その母親自身にほかならない。

 子育てでこわいのが、悪循環。子どもに何か問題が起きると、親はその問題を解決しようと
何かをする。しかしそれが悪循環となって、子どもはますます悪い方向に進む。とくに子どもの
心がからむ問題はそうで、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返しながら、症状
はさらに悪くなる。

 自己中心的なママは、この悪循環におちいりやすいので注意する。





*****************6月23日送信***************

ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(129)

●見栄、メンツ、世間体

 見栄、メンツ、世間体。どれも同じようなものだが、この三つから解放されたら、子育てにまつ
わるほとんどの問題は解決する。言いかえると、多かれ少なかれ、ほとんどの親はこの三つの
しがらみの中で、悩み、苦しむ。が、日本人ほど、世間体を気にする民族は少ない。長く続い
た封建時代の結果、そうなったと考えられる。「皆と同じことをしていれば安心だが、そうでなけ
ればそうでない」と。

 世間体を気にすればするほど、親もそして子どもも、他人の目の中で生きるようになる。子ど
もの見方も相対的なものになり、「うちの子は、A高校だから優秀だ」「隣の子はB高校だから、
うちの子より劣っている」と。が、それだけではすまない。ある母親は息子(中3)の進学高校別
の懇談会には、一度も出席しなかった。「(そんな高校では)恥ずかしい」というのが理由だった
が、こうしたものの考え方は、親子のきずなを決定的なほどまでに粉々にする。こんな例もあ
る。

 「私は私」「うちの子はうちの子」「他人がどう思うとも、私は自分の子どもを信ずる」という割り
きりが、子育てをわかりやすくする。子どもの心を守る。そしてそういうものの考え方が、一方で
親子のきずなを深める。こんなことがあった。 

ある男性が彼の母親に、それまでの会社勤めをやめ、幼稚園の教師になると告げたとき、彼
の母親は電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れてしまった。「恥ずかしいから、それだけはや
めてくれ!」と。その男性はこう言う。「私は母だけは私を信じ、私を支えてくれると思いました。
が、母は『あんたは道を誤ったア!』と。それまでは母を疑ったことはないのですが、その事件
以来、母とは一線を引くようになりました」と。

ここでいう「ある男性」というのは、私自身のことだが、だからといって私は母を責めているので
はない。母は母として、当時の常識の中でそう言っただけだ。

 生きる美しさは、いかにその人らしく生きるかで決まる。また生きる実感もそこから生まれる。
言いかえると、他人の目の中で生きれば生きるほど、結局は自分の人生をムダにすることに
なる。

 何かにつけ世間体が気になる人は、一度自分の人生観を洗いなおしてみたらよい。世間体
というのはそういうもので、一度気にし始めると、それがその人の生き方の基本になってしま
う。私の母も八五歳をすぎたというのに、いまだに「世間」という言葉をよく使う。「世間が笑う」
「世間体が悪い」と。その年齢になったら、もう他人の目などは気にせず、「私は私」という人生
を貫けばよいと思うが、母にはそれができない。が、はた(世間)から見ても、それほど見苦し
い人生ほない。皮肉といえば、これほど皮肉なことはない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(130)

●過関心は子どもをつぶす

 子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、しかしそれが度を超すと、過関心になる。
こんなことがあった。

ある日一人の母親が私のところへやってきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、
『好きな子どうし、並んでいい』と言ったが、うちの子(小2男児)のように友だちがいない子ども
はどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮に欠ける行為だ。これから学校へ抗議に
行くので、あなたも一緒に来てほしい」と。さらに……。

 子どもが受験期になると、それまではそうでなくても、神経質になる親はいくらでもいる。「進
学塾のこうこうとした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼる」と言った母親もいたし、「子ども
のテスト週間になると、お粥しかのどを通らない」と言った母親もいた。しかし過関心は子ども
の心をつぶす。が、それだけではすまない。母親の心をも狂わす。

 子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑う。症状としては、ささ
いなことで極度の不安状態になったり、あるいは激怒しやすくなるのほか、つぎのようなものが
ある。(1)どこか気分がすぐれず、考えが堂々巡りする、(2)ものごとを悲観的に考え、日常生
活がつまらなく見えてくる。さらに症状が進むと、(3)不眠を訴えたり、注意力が散漫になったり
する、(4)無駄買いや目的のない外出を繰り返す、(5)他人との接触を避けたりするようにな
る、など。

 こうした症状が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。
 過関心にせよ、育児ノイローゼにせよ、本人自身がそれに気づくことは、まずない。気づけば
気づいたで、問題のほとんどは解決したとみる。そういう意味でも、自分のことを知るのは本当
にむずかしい。『汝自身を知れ』と言ったのはターレス(古代ギリシアの七賢人の一人)だが、
哲学の世界でも、「自分を知ること」が究極の目的になっている。

で、このタイプの親は明けても暮れても、考えるのは子どものことばかり。子育てそのものにす
べての人生をかけてしまう。たまに子どものできがよかったりすると、さらにそれに拍車がかか
る。いや、その親はそれでよいのかもしれないが、そのためまわりの人たちまでその緊張感に
巻き込まれ、ピリピリしてしまう。学校の先生にしても、一番かかわりたくないのが、このタイプ
の親かもしれない。

 あなたがここでいう過関心ママなら、母親ではなく、妻でもなく、女性でもなく、一人の人間とし
て、生きがいを子育て以外に求める。ある母親は、娘が小学校へ入学すると同時に手芸の店
を開いた。また別の母親は、医療事務の講師をするようになった。そういう形で、つまり子育て
以外のところで、自分を燃焼させる場をつくり、その結果として子育てから遠ざかる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(131)

●進学は話題にしない

 病気の人に、「何の病気?」「どこが悪いの?」「どこの病院へ通っているの?」などと聞くもの
ではない。同じように受験生をもった親に、「どこを受験するの?」「受験日はいつ?」「何学部
に受験するの?」などと聞くものではない。私はいつか、『受験家族は病人家族』という格言を
つくったが、その通り。受験生をかかえる家族は、(もちろんそうでない家族も多いが)、「病人
家族」と考え、そっとしておいてあげることこそ、心づかいというもの。が、中には無神経な人が
いる。先日も会うと、いきなりこう話しかけてきた女性(50歳)がいた。

 「あら、林さん、お宅の子、今年受験なさったのでないかしら? で、どこを受験なさいました
の? 林さんのお子さんのことですから、さぞかしいいところに入ったのでしょうね」と。元、幼稚
園の教師で、数年間一緒に仕事をしたこともある女性だった。私はあまりのレベルの低い会話
にア然とした。いや、それ以上に、その女性が私を彼女と同レベルに思い込んでいる様子が不
愉快だった。

 こうした会話がいかに愚劣なものかは、世界を歩いてみるとわかる。たとえば台湾やシンガ
ポールでは、相手の出身大学を聞きあうのが初対面の会話のようにもなっている。「あなたは
どこの大学ですか?」「で、学位は?」とかなど。新しいタイプの身分意識といってもよい。どこ
か時代が逆戻りして、封建時代へ向かいつつあるかのような錯覚すら覚える。今のこの日本で
はそこまでひどくはないが、10年前には、あるいは20年前には、台湾やシンガポール以上
に、学歴を気にした。今でも気にしている人は多い。

 しかしやはりこうした会話は、相手が進んでするばあいは別として、するものではない。家族
によっては、極度の緊張状態にある家族もある。子どもが受験期を迎えると、大半の親たちは
食事もノドを通らないほど、それを気にする。それがおかしいとか、おかしくないとかいう前に、
事実はそうなのだ。だから「進学校は話題にしない」。これは会話のエチケットのようなものだ。
 




ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(132)

●人格形成と勉強は別

 「人格形成と勉強は別」というタイトルにしたが、このタイトルの中の「勉強」を、「学力」もしくは
「知識」にしようかで、私はかなり迷った。で、その結果、「勉強」にした。わかりやすく言えば、
勉強ができるから人格的にすぐれた人間になるとか、もっと言えば、学歴があるから人格的に
すぐれた人間になるとか、そういうことはありえない。ありえないことは子どもを教えてみればす
ぐわかる。人格形成と勉強は、まったく別のものである。

 人格形成は日々の鍛錬の中からなされる。日々の鍛錬というのは、日々の思考と行動と、そ
れに困苦の3つをいう。こう決めてかかるのは危険なことかもしれないが、少なくとも人格という
のは、教育だけでできるものではないし、知識があるから人格者ということにはならない。

たとえば家事の手伝いをよくしている子どもと、そうでない子どもとは、見ただけで判別できる
ほど、違いがよくわかる。家事をよく手伝っている子どもは、どっしりとした人間的な深みがあっ
て、おとなの私ですらも包んでくれるような包容力がある。が、家事をほとんどしない、いわゆる
ドラ息子、ドラ娘にはそれがない。こうしたことと、掛け算の九九をペラペラと言うとか言わない
とか、あるいは漢字をたくさん書けるとか書けないとかいうこととは、まったく関係ない。

 が、この日本では、勉強ができる人、つまり学歴が高い人ほど、人格もまた高邁(こうまい)で
あるということになっている。子どもの世界もそうで、勉強ができる子どもほど、人格的にもすぐ
れた子どもということになっている。あるいは日本の社会全体、それを受ける教育全体が、そう
いう錯覚の上に成りたっている。しかし錯覚は錯覚。

これは一つの例だが、有名進学高校ほど、その内部での生徒どうしのいじめが多い。しかもそ
のいじめは陰湿かつ執拗。具体的な数字があるわけではないが、こんなことは教師の間では
常識である。

もちろん学問することはムダではない。ないが、問題はその学問のし方である。もっと言えば、
学問しながら、そこで自分の「思考」をいかにはぐくむか、だ。どこかの寺の本山で学ぶ小僧の
ように、ただ覚えて、覚えて、覚えるだけの学問には、意味がない。学問が学問として意味をも
つのは、考えて、考えて、考え抜くところにある。が、考えるだけでは足りない。そうした思考
に、行動や困苦がともなってはじめて、思考は意味をもつ。つまりその人の人格の基礎とな
る。

 どこかバラバラなことを書いたが、要するに子どもにはよく考えさせ、よく行動させ、家事の手
伝いをよくさせる。これが子どもの人格を育てる基本ということになる。

 



ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(133)

●日本人の依存性

 日本人が本来的にもつ依存心は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、日本人がそれ
に気づくには、自らを一度、日本の外に置かねばならない。それはちょうどキアヌ・リーブズが
主演した映画『マトリックス』の世界に似ている。その世界にどっぷりと住んでいるから、自分が
仮想現実の世界に住んでいることにすら気づかない……。

 子どもでもおなかがすいて、何か食べたいときでも、「食べたい」とは言わない。「おなかがす
いたア、(だから何とかしてくれ)」と言う。子どもだけではない。私の母などは、もう40歳のとき
から私に、「お母ちゃん(自分)は、歳をとったでナ。(だから何とかしてくれ)」と言っていた。

 こうした依存性は国民的なもので、この日本では、おとなも子どもも、男も女も、社会も国民
も、それぞれが相互に依存しあっている。こうした構造的な国民性を、「甘えの構造」と呼んだ
人もいる。たとえば海外へ移住した日本人は、すぐリトル東京をつくって、相互に依存しあう。
そしてそこで生まれた子ども(二世)や孫(三世)は、いつまでたっても、自らを「日系人」と呼ん
でいる。依存性が強い分だけ、その社会に同化できない。

 もちろん親子関係もそうだ。この日本では親にベタベタと甘える子どもイコール、かわいい子
とし、そのかわいい子イコール、よい子とする。反対に独立心が旺盛で、親を親とも思わない
子どもを、親不孝者とか、鬼っ子と言って嫌う。そしてそれと同時進行の形で、親は子どもに対
して、「産んでやった」「育ててやった」と依存し、子どもは子どもで「産んでもらった」「育ててもら
った」と依存する。

こうした日本人独特の国民性が、いつどのようにしてできたかについては、また別のところで話
すとして、しかし今、その依存性が大きく音をたてて崩れ始めている。イタリアにいる友人が、こ
んなメールを送ってくれた。いわく、「ローマにやってくる日本人は、大きく二つに分けることがで
きる。旗を先頭にゾロゾロとやってくる日本人。年配の人が多い。もう一つは小さなグループで
好き勝手に動き回る日本人。茶髪の若者が多い」と。

 今、この日本は、旧態の価値観から、よりグローバル化した新しい価値観への移行期にある
とみてよい。フランス革命のような派手な革命ではないが、しかし革命というにふさわしいほど
の転換期とみてよい。それがよいのか悪いのか、あるいはどういう社会がつぎにやってくるの
かは別にして、今という時代は、そういう視点でみないと理解できない時代であることも事実の
ようだ。あなたの親子関係を考える一つのヒントとして、この問題を考えてみてほしい。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(134)

●祖父母との同居

 祖父母との同居について、アンケート調査をしたことがある。その結果わかったことは、「好
かれるおじいちゃん、おばあちゃん」の条件は、(1)健康であること、(2)やさしいこと、(3)経
験が豊富であること、(4)控えめであることだった(1993年・浜松市内で約50人の同居世帯
で調査)。

 反対に同居する祖父母との間のトラブルで一番多いのが、子育て上のトラブル。母親の立場
でいうと、一番苦情の多かったトラブルは、「子どもの教育のことで口を出す」だった。「甘やか
しすぎて困る」というのが、それに続いた。

さらに「同居をどう思うか」という質問については、子どもが生まれる前から同居したばあいに
は、ほとんどの母親が、「同居はよかった」と答えているのに対して、途中から同居したばあい
には、ほとんどの母親が、「同居はよくない」と答えていた。祖父母との同居を考えるなら、子ど
もが生まれる前からがよいということになる。

 そこで祖父母との間にトラブルが起きたときだが、間に子どもがからむと、たいていは深刻な
嫁姑戦争に発展する。母親もこと自分の子どものことになると、妥協しない。祖父母にしても、
孫が生きがいになることが多い。こじれると、別居か、さもなくば離婚かというレベルまで話が
進んでしまう。そこでこう考える。これは無数の相談に応じてきた私の結論のようなもの。

(1)同居をつづけるつもりなら、祖父母とのトラブルを受け入れる。とくに子どもの教育のこと
は、思い切って祖父母に任す。甘やかしなど問題もあるが、しかし子育て全体からみると、マイ
ナーな問題。メリット、デメリットを考えるなら、デメリットよりもメリットのほうが多いので、割り切
ること。

(2)子どもの教育は任せる分だけ祖父母に任せて、母親は母親で、前向きに好きなことをす
ればよい。そうした前向きの姿勢が子どもを別の面で伸ばすことになる。

(3)祖父母の言いたそうなことを先取りして子どもにいい、祖父母には「助かります」と言いな
がら、うまく祖父母を誘導する。

(4)以上の割り切りができなければ、別居を考える。

 大切なことは、大前提として、同居を受け入れるか入れないかを、明確にすること。受け入れ
るなら、さっさとあきらめるべきことはあきらめること。この割り切りがまずいと、母親自身の精
神生活にも悪い影響を与える。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(135)

●子どもの性教育

 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。6歳
になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなって
いるのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつけるよ
うに感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいのでし
ょう。

 フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に分けている。(1)口唇期……口の中にいろい
ろなものを入れて快感を覚える。(2)肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に
興味を示したり、そこをいじったりする。(3)男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心
をもつようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレ
ス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為
をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自
慰もその一つと考える。

つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレスの原因(ストレッサー)
となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふさぎ込み、ぐずぐ
ず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)をともなうことが多い。そ
のため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を悪化させることもある
ので注意する。

 さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自
分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情
緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないこ
とを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗する
そぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。

 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サ
ラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。

 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうし
ても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることが
ある。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(136)

●子どもの欲求不満

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。

(1)攻撃・暴力タイプ
 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、
かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小4
男児)がいた。

あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を
足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振る
う、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考え
る。

(2)退行・依存タイプ
 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。こ
のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ
ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

(3)固着・執着タイプ
 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだり
する(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近
多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起
こす。

ある男の子(小5)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切そうに
カバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう言っ
た。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子どもの
未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子どもは
幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、
爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を
解消しようとする。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(137)

●子どもの非行

 子どもが非行に走るようになると、独特の症状を見せるようになる。脳の機能そのものが、変
調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。

実際アメリカでは、非行少年に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも前兆
がないわけではない。その一つ、生活習慣がだらしなくなる。たとえば目標や規則が守れない
(貯金を使ってしまう。時間にルーズになる)、自己中心的(ゲームに負けると怒る。わがままで
自分勝手)になり、無礼、無作法な態度(おとなをなめるような言動、暴言)が目立つようにな
る。この段階で家庭騒動、家庭崩壊など、子どもを取り巻く環境が不安定になると、症状は一
挙に悪化する。

 その特徴としては、
(1)拒否的態度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「イラネエ〜」と拒否する。意
識的に拒否するというよりは、条件反射的に拒否する)、
(2)破滅的態度(ものの考え方が、投げやりになり、他人に対するやさしさや思いやりが消え
る。無感動、無関心になる。他人への迷惑に無頓着になる。バイクの騒音を注意しても、それ
が理解できない)、
(3)自閉的態度(自分のカラに閉じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「殺」などと
いう、どこか悪魔的な言葉に鋭い反応を示すようになる。「家族が迷惑すれば、結局はあなた
も損なのだ」と話しても、このタイプの子どもにはそれが理解できない。親のサイフからお金を
抜き取って、それを使い込むなど)、
(4)野獣的態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭くなり、肩をいからせて歩くように
なる。考え方も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、ぶっ殺せ」式の、短絡したもの
の考え方をするようになる)など。心の中はいつも緊張状態にあって、ささいなことで激怒した
り、キレやすくなる。また一度激怒したり、キレたりすると、感情をコントロールできなくなること
が多い。

 家族でも先生でも、誰かと一本の「糸」で結ばれている子どもは、非行に走る一歩手前で、自
分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨て
られた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら
(そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛して
いますからね」「どんなことがあっても、私はあなたのそばにいますからね」という姿勢を、徹底
的に貫く。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(138)

●スキンシップと甘えるという行為

 スキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。魔法の力といってもよい。もう20年ほど
前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施設の先生の講
演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』という
方法で、すばらしい治療成績をあげています」と。

その施設の名前も先生の名前も忘れた。が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思
ったことが、たびたびある。言いかえると、スキンシップを受けつけない子どもは、どこかに「心
の問題」があるとみてよい。

 たとえばかん黙児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許さない。
許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、何かしら
丸太を抱いているような気分になる。

これに対して心を許している子どもは、抱く側にしっくりと身を寄せる。さらに肉体が融和してく
ると、呼吸のリズムまで同じになる。心臓の脈動まで同じになることがある。で、この話をある
席で話したら、そのあと一人の男性がこう言った。「子どもも女房も同じですな」と。つまり心が
通いあっているときは、女房も抱きごこちがよいが、そうでないときは悪い、と。不謹慎な話だ
が、しかし妙に言い当てている。

 このスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、「甘える」という行為である。一般論として、
濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然である。「自
然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。甘えることがで
きる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染
み込んでいくのがわかる。

 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、育児
拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人
に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいる
のを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。
私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、
私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。

 抱こうとしても抱かれない子どもが、四分の一もいるという事実もある(二〇〇〇年・『臨床育
児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏))。それが自然にできる子どもにすれば何でもないことか
もしれないが、親に甘え、親の肌をそれとなく求めてくる子どもというのは、それだけでも、心が
まっすぐに育っているということになる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(139)

●スキンシップは量より質

 スキンシップについて、どの程度が適量なのかという具体的な調査はない。ないが、全体とし
てみると、日本人は欧米の人とくらべても、極端に少ない。親子のみならず、夫婦、友人の間
でも少ない。日本人は肌を合わせるということについて、独特の文化をもっていて、それがこう
した違いを生みだしたとも言える。

 ただこういうことは言える。スキンシップは量ではなく、質の問題である、と。こんなことがあっ
た。その子ども(年長男児)の家庭は、母親の言葉を借りるなら、「擬似母子家庭」。父親は仕
事が忙しく、子どもと接する時間がほとんどなかった。が、その子どもには、母子家庭の子ども
に見られるような心のゆがみがほとんどなかった。

で、ある日、私は母親にその秘訣を聞いてみた。すると母親はこう教えてくれた。「夫は日曜日
になると、子どもをいつも抱いています。またたまに朝や夜、顔をあわせるときがあると、夫は
子どもを腕に寄せ、力いっぱい抱いています」と。

 もちろんベタベタのスキンシップがよいわけではない。ときどき一日中ペットの犬を胸に抱い
ている人を見かける。あのタイプの人は犬をかわいがっているというより、自分自身の情緒的
欠陥を「抱く」という行為で補っているに過ぎない。こういうのを代償的行為というが、子どもの
爪かみ、指しゃぶりと同じに考えてよい。もっとも相手が犬というペットなら、それほど弊害はな
いが、子どもだと、その弊害は子どもに表れる。精神や情緒の発育そのものが遅れることもあ
る。

 子どもをどの程度抱けばよいかという質問はよくある。しかしここにも書いたように、スキンシ
ップは質の問題。抱く側が、「愛していますよ」「安心していいのよ」という明確な意思をもって抱
くようにすればよい。またそういう意思を表示するためのスキンシップであれば、回数は多くて
もかまわない。

 なおこのスキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。「人知を超えた」というのも、少
しおおげさに聞こえるかもしれないが、私はその不思議な力に驚かされることがしばしばある。
そんなことも考えながら、子どもへのスキンシップを考えるとよい。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(140)

●すばらしいと言え、親の仕事

 こんなことがあった。その息子(高1)が、家業である歯科技工士の仕事を継ぐのをいやがっ
て困っているというのだ。そこで「どうしたらいいか」と。

 今、子どもたちの間で、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりという奇妙な現象が起きている。
自分の将来に不安や恐怖心をもつと、子どもはおとなになるのを無意識のうちにも拒否するよ
うになる。そして幼児期に使ったおもちゃや本を取り出し、それを大切そうにもちあるいたりす
る。一人の小学生(小6男児)が、ボロボロになったマンガの本をかばんの中に入れていたの
で、「それは何だ」と声をかけると、その子どもはこう言った。「どうちぇ、読んではダメだと言う
んでちょ、言うんでちょ」と。

この子どものケースでは、父親に原因があった。父親はことあるごとに、「中学校へ入ると、勉
強がきびしいぞ」「毎日5、6時間は勉強しなければならないぞ」と、その子どもをおどしていた。
こうしたおどしが、子どもの心をゆがめていた。

 で、私は先にあげた高校生を家に呼んで、理由をたずねてみた。するとその高校生はこう言
った。「あんな歯医者にペコペコする仕事なんか、いやだ。それにオヤジは、いつも『疲れた、
疲れた』と言っている」と。

 そこで私は母親にこう話した。「これからは子どもの前では、家の仕事は楽しい、すばらしい
と言いましょう」と。結果的にその子どもは今、歯科技工士をしているので、私のアドバイスはそ
れなりに効果があったのかもしれない。

 子どもを伸ばす秘訣は、未来に希望をもたせること。あなたはすばらしい人になる、あなたの
未来はすばらしいものになると、前向きの暗示を与える。幼児でもそうだ。少し前、『学校の怪
談』というドラマがあった。そのため「小学校へ行きたくない」という子どもが続出した。理由を聞
くと、「花子さんがいるから」と。やはり幼児には、「学校は楽しいよ」「友だちがいっぱいできる
よ」「大きな運動会をするよ」と、言ってあげねばならない。そして……。

 子どもには、「お父さんの仕事はすばらしいよ」と言う。いや、言うだけでは足りないかもしれ
ない。生き生きと楽しそうに仕事をしている前向きの姿勢をどんどんと見せる。そういう姿勢が
子どもを伸ばす。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(141)

●スラスラ読んでも意味がない

 思考と情報の加工は、まったく別のもの。たとえばこんな会話。A「今度の休みにはどこかへ
行くの?」、B「そうだな。伊豆へでも行こうか」、A「伊豆なら、下田まで足をのばしたら」、B「そ
れはいい……」と。

 このAとBは、一見考えているように見えるが、その実、何も考えていない。脳の表層部分に
蓄えられた情報を、そのつど加工して外に出しているにすぎない。しかしふつうの人は、こうい
うのを「思考」と誤解している。錯覚と言ってもよいかもしれない。

 思考にはある種の苦痛がともなう。それは複雑な数学の問題を解くような苦痛である。だか
らたいていの人は、無意識のうちにも、できるだけ思考するのを避けようとする。あるいは他人
の思考をそのまま受け入れてしまう人がいる。カルト教団の信者がそうである。徹底した上意
下達方式のもと、「上」からの思想をそのまま脳の中に注入され、彼らはそれを自分の思想と
錯覚している。

それはちょうどわけもわからず、掛け算の九九を暗記している幼稚園児のようなものである。
掛け算の九九をペラペラと口にすると、一見賢い子どもに見えるが、その実何もわかっていな
い。何も考えていない。いわんや算数ができる子どもということにはならない。

 そういう視点で子どもの世界をのぞくと、また別の見方ができる。たとえば年中児にもなると、
本をスラスラと読む子どもが現れる。一見、国語力のある子どもに見えるが、その実、その本
の内容はほとんど理解していない。ただ文字を音に変えているだけ。
 あるいはたいへんもの知りの子どもがいたとする。口だけは達者で、まさにああ言えば、こう
言う式の反論もしてくる。しかしだからといって、その子どもは頭のよい子ということにはならな
い。賢い子どもということにもならない。もっと言えば、情報が多いからといって、思考力がある
ということにはならない。
 先にも書いたように、思考するということは、それ自体たいへんなことである。そして思考をし
たからといって、何かの「考え」にたどりつくことができるとはかぎらない。それはちょうど砂場の
中で、小さな宝石を見つける作業に似ている。まさに見つかればもうけものという世界。だから
これまたたいていの人は、「考えるだけムダ」と考える前に、考えることをやめてしまう。
 話は飛躍するが、日本の教育の最大の欠陥は、「思考」と「情報」を混同し、情報を与えるこ
とを教育と誤解している点である。このことは日本という島国を一歩離れてみるとすぐわかるこ
とだが、それについてはまた別のところで書く。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(142)

●子どもの自我

 ほぼ30年ぶりにS氏と会った。会って食事をした。が、どこをどうつついても、A氏から、その
30年間に蓄積されたはずの年輪が伝わってこない。話そのものがかみあわない。どこかヘラ
ヘラしているだけといった感じ。そこで話を聞くと、こうだ。

 毎日仕事から帰ってくると、見るのは野球中継だけ。読むのはスポーツ新聞だけ。休みは、
晴れていたらもっぱら釣り。雨が降っていれば、ただひたすらパチンコ、と。「パチンコでは半日
で5万円くらい稼ぐときもある」そうだ。しかしS氏のばあい、そういう日常が積み重なって、今の
S氏をつくった。(つくったと言えるものは何もないが……失礼!)

 こうした方向性は、実は幼児期にできる。幼児でも、何か新しい提案をするたびに、「やりた
い!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になって「やりたくない」とか「つまらない」と言う
子どもがいる。フロイトという学者は、それを「自我論」を使って説明した。自我の強弱が、人間
の方向性を決めるのだ、と。たとえば……。

 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)で、創造的(将来に向かって展望
をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動
できる。

 反対に自我の弱い子どもは、物事に対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口
にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、占いや手相にこ
る)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえ
ばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。

 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛(おうせい)で何かにつけ、前向きに伸びていく。
反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているか分
からない子どもといった感じになる。

 その道のプロなら、子どもを見ただけで、その子どもの方向性を見抜くことができる。私だっ
てできる。しかし20年、30年とたつと、その方向性はだれの目から見てもわかるようになる。
それが「結果」として表れてくるからだ。先のS氏にしても、(S氏自身にはそれがわからないか
もしれないが)、今のS氏は、この30年間の生きざまの結果でしかない。

 帰り際、S氏は笑顔だけは昔のままで、「また会いましょう。おもしろい話を聞かせてください」
と言ったが、私は「はあ」と言っただけで、何も答えることができなかった。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(143)

●こわい極端主義

 人類は過去、数10万年もの長い間、生きてきた。その間、親は代々、子どもを育ててきた。
その人類がいくら変わったといっても、ここ100年や200年の間に変わったと考えるほうがお
かしい。子育てもそうだ。いくら変わったといっても、ここ100年や200年の間に変わったと考
えるほうがおかしい。つまりもしだれかの子育て法をみて、「どこか不自然」と感じたら、その子
育て法は疑ってみたほうがよい。

 たとえば少し前、Tヨットスクールという、これまたおかしな教育法を実践する団体があった。
当時の塾長は目下、刑事罰を受けているが、あれなどもその一例である。最近でも不登校児
やその親に向かって、はげしい罵声を浴びせかけて不登校をなおす(?)という人まで現れた。
私もその人の本を2冊読んでみたが、理論らしい理論がどこにもないのに驚いた。自身も非行
少女だったとかで、父親の目を盗んで車を無免許で運転していたとか……。

そういうところから彼女の教育法を編み出した(?)ということらしいが、それ以上のことは書い
てなかった。もっとも私がもっている情報は、この2冊の本だけなので、ここでコメントすること
はできない。ひょっとしたら彼女の教育法は本当にすばらしい教育法なのかもしれない。ある
いはそうでないのかもしれない。しかしどこか不自然である。だいたいにおいて、「不登校をな
おす」という言い方がおかしい。不登校を悪と決めてかかっている。本当に不登校は、悪なの
か? 正さなければならないことなのか?

 話がそれそうなので、もとに戻すが、子育てで警戒しなければならないのが、極端主義であ
る。子育てというのは、どこか灰色のまま、何となくまあまあの状態でなされていくもの。白黒は
っきりさせるのも、ギスギスするのも、子育てではあまりよい結果は生まれない。そもそも人間
という生き物は、いいかげんな生き物なのだ。またそのいいかげんさがあるから、進化した。こ
こまで生き延びてくることができた。子どももまさにそうで、そのいいかげんさがあるから、その
中で羽をのばし、自分をのばすことができる。

 またまた話がそれそうなので、もとに戻す。要するに子育ては、『まじめ七割、いいかげんさ
三割』である。しかしこのことは別のところで書いたので、ここまでにしておく。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(144)

●寸劇指導法

 具体性をともなわない指示は、子どもには意味がない。よい例が「友だちと仲よくするのです
よ」とか、「先生の話をよく聞くのですよ」とかなど。こういうことを言っても、言う親の気休め程度
の意味しかない。こういうときは、たとえば「これを○○君にもっていってあげてね。○○君は喜
ぶわ」とか、「今日、学校から帰ってきたら、終わりの会で先生が何と言ったか、あとでママに話
してね」と言いかえる。「交通事故に気をつけるのですよ」というのもそうだ。

 交通事故について話す前に、こんな例がある。その子ども(年長男児)は何度言っても、下水
溝の中に入って遊ぶのをやめなかった。母親が「汚いからダメ」と言っても、効果がなかった。
そこでその母親は、家庭排水がどこをどう通って、その下水溝に流れるかを説明した。近所の
家からはトイレの汚水も流れこんでいることを、順に歩きながらも見せた。子どもは相当ショッ
クを受けたようだったが、その日からその子どもは下水溝では遊ばなくなった。

 交通事故については、一度、寸劇をしてみせるとよい。私も授業の中で、ときどきこの寸劇を
してみせる。ダンボールで車をつくり、交通事故のありさまを迫真の演技でしてみせるのであ
る。……車がやってくる。子どもが角から飛び出す。車が子どもをはね飛ばす。子どもが苦し
みながら、あたりをころげまわる……と。気の弱い子どもだと、「こわい」と泣き出すかもしれな
いが、子どもの命を守るためと考えて、決して手を抜いてはいけない。迫真の演技であればあ
るほど、よい。たいてい一回の演技で、子どもはこりてしまい、以後道路へは飛び出さなくな
る。

 もしあなたの子どもが、何度注意しても同じ失敗を繰り返すというのであれば、一度、この寸
劇法を試してみるとよい。具体的であるがために、説得力もあり、子どももそれで納得する。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(145)

●性格は化学反応

 子どもの性格は、環境によって大きな影響を受ける。ここにあげるのは、あくまでも一般論だ
が、たとえばつぎのようなものがある。

(1)ケチの長男、ズボラな二男……一般的に長男や長女は防衛に回ることが多く、そのため
ケチになりやすい。それに反して二男や二女は、モノにこだわらなくなり、気前よくなったり、ズ
ボらになったりしやすい。

(2)男一人と、女一人は、ともに一人っ子……男の一人と、女の子一人の家庭では、ともに一
人っ子の性格をもちやすいことを言ったもの。ともにわがままで、社会性がなくなるなど。反対
に双子というのは、互いによい影響を受けやすく、社交的で活発になる。

(3)女二人は憎しみ相手……年齢の近い姉妹は、互いにはげしいライバルになりやすく、ばあ
いによっては、互いに憎しみあうことがある。私の知人の娘たちだが、一人の男性をとりあっ
て、まさに殺し合い寸前までのことをしたという。

(4)年上の姉と甘えん坊……年上のめんどうみのよい姉がいると、下の弟は、二人の母親を
もったような状態になり、甘えん坊になりやすいことを言ったもの。

(5)足して二で割ると、平均児……兄弟や姉妹では、互いにできふでき、性格などが正反対に
なりやすいことがある。兄には神経質に手をかけすぎたり、反対に弟は放任したりすることなど
によるが、そういうとき親はよくこう言う。「足して二で割れば、お互いに平均児なんですけどね
エ」と。

(6)年の近い姉は、男まさり……男の間でもまれて成長すると、女の子も男まさりになったりす
る。そのときでも、すぐ下に弟がいたりすると、さらに男まさりになったりする。いわゆる姉御(あ
ねご)タイプになりやすい。

(7)末っ子は甘えん坊……末っ子が甘えん坊になるのは、親側に、「この子が最後だ」という
思いが強いからである。そのため、どうしてもあれこれ手をかけてしまう。また親側にも、子育
ての余裕ができ、子どもをより広い包容力で包むことができる。そのため末っ子は甘えん坊に
なりやすい。つまり依存心がつきやすい。

(8)まん中の子は、人なつっこい……兄弟や姉妹が三人以上いると、まん中の子どもは、愛情
不足から、人なつっこくなりやすい。しかしその反面、心を許さないという面もある。

(9)総領の甚六……長男や長女は、それだけ期待もされ、手もかけられて育つため、おっとり
とした性格になることを言ったもの。つまりそれだけできが悪くなることを言ったもの。

 これらは冒頭に書いたように、あくまでも一般論である。子どもというのも、置かれた環境の
中で、長い時間をかけて性格がつくられていく。そういう面はたしかに否定できない。






ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(146)

●子どもの性質

 子どもにも生まれつきの性質というものがある。その一つが、敏感児と鈍感児(決して頭が鈍
感という意味ではない)。たとえばA子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだ
った。人前に出るとオドオドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはが
ゆく思っていた。そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してき
た。

 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この敏感児を
いうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体
の約30%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分け
て考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘
など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的過
敏児だった。

 このタイプの子どもは、(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示
に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。(2)耐久性にもろく、ちょっとしたこと
で泣き出したり、キズついたりしやすい。(3)過敏であるがために、環境になじまず、不適応を
起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん
息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。(4)症状は、一過性、反復性など、定型がない。
そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎氏)。A子さ
んのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に悩まされていた。

  ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももい
る。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもっ
た子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心
にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっぱいを飲んでいるなら、ふざ
けていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせ
たりする。

このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場をごまかそ
うとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態
にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言って
よい。

その子ども(年長児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。
「母親のおっぱいを飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、どうい
うことですか!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(147)

●伸びる子ども、伸び悩む子ども

「あなたはどんどん伸びる」「あなたはすばらしい子になる」と。そんな前向きな暗示が子どもを
伸ばす。実際、前向きに伸びていく子どもは、やや自信過剰なところがあり、挫折しても、それ
を乗り越えてさらに前に進んでいく力をもっている。そういう意味でも、この時期、とくに幼児期
から少年少女期にかけては、子どもはやや自信過剰なほうが、あとあとすばらしい子どもにな
る。

 反対に子どもの「力」をつぶしてしまう親がいる。力というより、伸びる芽をつんでしまう。過関
心や過干渉など。親はよく、「生まれつき……」という言葉を使うが、生まれつきそうであるかど
うかは、神様でもわからない。(それとも、あなたは赤ちゃんを見て、それがわかるというのだろ
うか?)そういう子どもにしたのは、親自身にほかならない。

そこで伸びる子どもと、そうでない子どもを分けると、つぎのようになる。

伸びる子ども……ものごとに攻撃的かつ積極的。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口
からよく出る。現実感が強く、ものの考え方が実利的になる。頼れるのは自分だけというような
考え方をする。ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールが
でき、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さな
い。将来性のある創造的な趣味をもつ。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽器でコンク
ールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。前向きに伸びようと
する。

伸び悩む子ども……ものごとに防衛的かつ消極的。「いやだ」「つまらない」という言葉が多い。
ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いたりする。一
時的な快楽を求める傾向が強く、趣味も退行的かつ非生産的。たとえば意味もないカードやお
もちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。衝動性が強くなり、ほしい
ものに対して、ブレーキをかけられない。盗んだお金で、ほしいものを買っても、欲望を満足さ
せたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識がない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(148)

●設計図タイプの親

 親が自分の子どもに夢や希望を託すのは、悪いことではない。それがあるから親は子どもを
育てる。子育てもまた楽しい。しかしそれが過剰になったとき、過剰期待となる。が、さらにそれ
が進んで、中には、あらかじめ設計図を用意し、その設計図に子どもをあてはめようとする親
がいる。「やさしくて思いやりのある、スポーツマンタイプの子ども」「高校はS高校で、大学はA
大学。将来は医師か弁護士」と。しかし……。

 設計図をもっている親は、独特の話し方をする。たとえばこんな言い方。「私はどこの高校で
もいいと思っていますが、うちの子はS高校へ入りたいと言っています。そんなわけで、どうかう
ちの子の希望をかなえさせてあげてください」と。そこで子ども自身に聞くと、「ぼくはどこでもい
いけど、お母さんがS高校でなくてはダメと言っている」と。

 あるいはこんなことを頼んできた親もいた。いよいよ娘(高3)が大学受験というときになった
ときのこと。私に「娘は地元の大学でないと困ります。私から言っても言うことを聞きませんの
で、先生、あなたのほうから説得してください。なお、私がこうして先生に頼んだことは内密に」
と。

 このタイプの親は、自分の頭のどこかに描いた設計図に合わせて、自分の子どもの外堀を
埋めるような形で、子どもをしばりあげていく。そして結果的に、自分の思いどおりの子どもを
つくろうとする。親にしてみれば、自分だけがそういう言い方をしていると思っているが、教える
側は無数の親と接している。そしてそういう親たちを類型化することができる。その一つが、こ
のタイプの親ということになる。

 子どもはたしかにあなたから生まれ、あなたの子どもかもしれないが、同時に、別個の人間
である。古い世代の人の中には、まだ子どもを「モノ」のように思っている人も多い。が、しかし
こうした意識は、きわめて原始的ですらある。もしあなたがここでいう設計図タイプの親なら、自
分自身の中の原始的な親子観を疑ってみたらよい。

子どもはあなたの思いどおりにはならないし、ならなくて当たり前。またならなかったからといっ
て、嘆くこともない。現に今、あなただって、あなたの親の設計図どおりにはなっていないはず
だ。だったら、自分の設計図を子どもに当てはめないこと。もともと親子というのは、そういうも
の。そういう視点で、自分の子育て観を改める。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(149)

●成長を喜ぶ

 あなたの子どもは、つぎの二つのうちのどちらだろうか。たとえば何か新しいことができるよう
になったとき、(1)うれしそうに、「見て、見て!」と、あなたのそばにやってくるだろうか。それと
も(2)新しいことができるようになっても、何も報告しないか、あるいはそれを隠すだろうか。

 (1)のようであれば、よし。しかし(2)のようであれば、あなたと子どもの関係は、かなり険悪
な関係にあるとみてよい。あるいはすでに断絶状態かもしれない。が、それだけではない。

 こんな家庭があった。その家は男ばかりの四人の子どもがいたが、どの子どもも、屈託がな
く、実に伸びやかであった。ふつうは下の子は「おさがり」をもらうのをいやがるものだが、その
家ではそうではなかった。母親が兄のズボンを下の子にはかせたりすると、下の子どもが、
「見て、見て」とあたりを走り回るのである。

そこでその秘訣をさぐってみると、それは母親の言葉にあった。母親はおさがりを下の子には
かせるとき、決まってこう言うのだ。「ほら、あんたもお兄ちゃんのがはけるようになったわね。
よかったわね」と。母親はそれを心底、喜んでみせていた。つまりこうした働きかけが、下の子
をして、生き生きとさせていた。

 子どもを伸ばすということは、子ども自身が、自らの力で前向きに伸びていく力を支えるという
こと。よく「子どもを伸ばす」という言葉を使う人がいるが、子どもはゴムでも、あめ細工でもな
い。伸ばそうと思っても伸びるものではない。しかし子ども自身の力を使えば、それができる。
そして子どもをそういう方向にし向けることを、「伸ばす」という。

 その一つの方法が、「成長を喜ぶ」ということになる。子どもが何か新しいことができるように
なるたびに、あなたのところへやってきて、「見て、見て」と言う。そしてそれを見たあなたは、心
底喜んでみせる。こういうリズムが子どもを伸ばす。そうでなければそうでない。

 ではあなたという親子はどうだろうか。(1)のようだろうか、それとも(2)のようだろうか。もう
一度、よく観察してみてほしい。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(150)

●性は無

 私たちの世代では、男が遊び、女が遊ばれた。男はいつも加害者であり、女はいつも被害者
だった。しかし今は、違う。女が遊び、男が遊ばれる時代になった。たとえば小学低学年児に
ついて言えば、いじめられて泣かされるのが男、いじめて泣かすのが女と言う構図がすっかり
できあがっている。

先日もある母親がそう相談してきた。「いつもうちの子(小1男児)が、Aさん(小1女児)に叩か
れています。どうかしてください」と。それがよいのか悪いのかという判断は別にして、今はそう
いう時代なのだ。……私の時代では、男が女に泣かされるということ自体、考えられなかった
が……。

 性についても同じ。このポイント集を読んでいるのは、ほとんどが女性だから、私がこう書い
ても、多分反論はないと思う。「女性だから遊んではいけないというのは、偏見でしかない」と。
実際、非公式の調査だが、女性の約60%は、高校を卒業するまでに初体験をすませている。
もちろんそのため、トラブルは絶えない。妊娠、中絶の問題、さらには性病の問題ほか。しかし
私の結論はこうだ。

「性に関しては、我、関せず」である。たとえば性体験をすると女生徒でも、妙になまめかしくな
る。Mさん(中2女子)もそうだ。筆箱の中に、電話番号を書いたメモを入れていたので、「これ
は何?」と声をかけると、肩をよじらせながら、「うふん……いいじゃ〜ン」と。

 このMさんのケースでも、私は迷った。親に言うべきかどうかである。しかし結局は言わなか
った。確たる証拠があるわけではないし、言えば言ったで、それで私とMさんの信頼関係は消
える。いや、そのときも女房に相談すると、女房はこう言った。「あ〜あ、私も学生時代、もっと
遊んでおけばよかったア」と。だから私はますます、「我、関せず」を貫くようになった。

 所詮(しょせん)、性は無。考えようによっては、厳粛でもあるが、また考えようによっては、排
泄行為そのもの。問題にするのも、また問題にしないのも、どこかピントが合わない。もうこの
問題だけは、事務的に、性教育をしたり、避妊教育したりするしかない。止めようとしても止め
られるものではないし、もう私たちのコントロールできる範囲を超えている。いや、そのことはす
でにあなた自身が、一番よく知っていることかもしれない。この現象はすでに、もう20年近く前
から始まっていたからである。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(151)

●世間体は子育てを見苦しくする

 今でも世間体を気にする人は多い。しかし世間体を気にすればするほど、それは他人の目
の中で生きることになる。そしてそれは同時に、自分の人生をムダにすることになる。

 生きる美しさというのは、いかにその人がその人らしい人生を送っているかで決まる。が、他
人の目の中で生きる人には、それがない。ないばかりか、皮肉なことに、はた(=世間)から見
ても、それほど見苦しい人生はない。私の知人に、こんな女性(70歳)がいる。ことあるごとに
「世間」という言葉を使う。「世間が笑う」「世間体が悪い」「世間が許さない」など。長くつづいた
封建時代の悪弊とも言える。あの江戸時代には、人々は、他人と変わったことをすることすら
許されなかった。

 もっともこうした生きざまが、その人個人のものであれば、問題はない。が、こうしたものの考
え方が子育ての領域に入ってくると、話がかなりおかしくなる。ある母親は、毎朝、自分の娘
(高1)を車で駅まで送っていた。近所に娘の学校の制服を見られるのが恥ずかしいというの
が、その理由だった。

あるいはこのH市では、市内のS進学高校に入れなかった子どもは、隣町のB高校に入学す
るのが習わしになっているようなところがある。B高校は全寮制。S進学高校に入れなかった
子どもは、親のメンツのために(?)B高校へ進学する……ということらしい。(もちろんそうでな
いケースも多いが……。)

 しかしそれですめばよいが、こうした親の生きざまは、やがて親子の間に深刻なキレツを入
れることになる。子どもというのは、「どんなことがあっても、親は私を守ってくれる」という安心
感があってはじめて、豊かな心をはぐくむことができる。親にしても、「どんなことがあっても、私
は子どもを支えます」というのが、真の愛情ということになる。

もっと言えば、「世間が何と言おうと、また世間が何と思おうと、私はあなたを守りますからね」
という確たる信念が、親子のきずなを深める。が、こうした生きざまは、子どもの側に疑念や不
信感をもたせ、ついで、心に大きなキズを入れることになる。たいていはそのまま親子の断絶
へとつながっていく。

 「世間」という言葉が頭をかすめたら、すかさずこう思いなおしてみたらよい。「あなたはあな
たよ」と。たったこれだけのことだが、それであなたはあなたの子どもの心を守ることになる。親
子のきずなもそれで太くなる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(152)

●子どもは先手を取る

 子どもはウソをつかない……と書いても、今ではそう思う人は少ない。たとえば子どもという
のは、塾などをやめたくなっても、「やめたい」とは言わない。たいていはその塾の悪口を言い
始める。「先生がまじめに教えてくれない」「ふざけている」「眠っている」など。つまり親をして、
「そんな塾ならやめなさい」と言うようにしむける。こんなことがあった。

 ある学校の先生が、その子ども(小4男児)に、こう言った。「君はほとんど宿題をやってこな
いが、今度宿題をやってこなかったら、親に言いつけるからな」と。先生は軽いおどしのつもり
でそう言っただけなのだが、その日からその子どもは家へ帰ると、さかんにその先生の悪口を
言うようになった。「えこひいきする」「ぼくだけ叱る」「授業中にものを投げつけた」など。やがて
親はその先生のことを、ひどい教師と思うようになったが、それこそその子どもの思うツボ。つ
まり子どもが先手を打ったことになる。

 こうした例は、たいへん多い。先生とて生身の人間だから、ときにはハメをはずして騒ぐこと
もある。失敗することもある。そういうことがすべていけないとなったら、先生とてこわくて授業そ
のものができなくなる。たとえば2002年の3月、北海道でこんな事件があった。

何でもその先生が、スキーの指導中に、「自殺するつもりですべれ!」と号令をかけたというの
だ。しかしこの言葉が大問題になった。なって、日本を代表するM新聞に載った。たしかにこの
発言には問題はあるが、しかし全国のニュースになるほどの問題かというと、そうではない。

逆に言うと、こんな発言程度で全国のニュースになるとすると、学校の先生も、こわくて何も言
えなくなる。ますます萎縮する。先生が「自殺するつもりで」と言ったのは、「思いきって」という
意味だったのだろう。だれも本気にしないだろうし、本気にするほうがおかしい。私はこのニュ
ースを読んだとき、その前提として、教師と生徒の間の信頼関係が崩壊していたのではないか
と思った。信頼関係がしっかりしていれば、冗談は冗談ですんだはずである。あるいは冗談と
して処理できたはずである。

 子どもを疑えということではないが、しかし信じ過ぎるのもよくない。よくないことは、現場の教
師なら、だれしも知っている。そのことを私は言いたかった。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(153)

●先生と話すときは、わが子は他人 

 親と話していて、「うちではふつうです」「K塾では問題がありません」と言われることぐらい、会
話がしにくいことはない。たとえば、私「このところ元気がありませんが……」、母「家ではふつう
です」、私「どこかで無理をしていませんか」、母「K塾では問題なく、やっています」と。

 先生と話すときは、わが子でも他人と思うこと。そう思うことで、親は聞き上手になり、あなた
の知らない子どもの別の面を知ることができる。たとえば子どもが問題を起こしたりすると、ほ
とんどの親は、「うちの子にかぎって!」とか、「友だちに誘われただけ」とか言う。しかし大半
は、その子ども自身が主犯格(失礼!)とみてよい。子どもを疑えということではない。子どもと
いうのはそういうもので、問題を起こす子どもほど、親の前では自分を隠す。ごまかす。

 溺愛ママと呼ばれる母親ほど、親子の間にカベがない。一体化している。だから子どもに何
か問題が起きたりすると、母親は自分のこととして考えてしまう。先生に何か問題がありますな
どと言われたりすると、自分に問題があると言われたように思う。思うから、「子ども(私)には
問題はありません」となる。しかしこういう盲目性が強ければ強いほど、親は子どもの姿を見失
う。そして結果として、子どもの問題点を見逃してしまうことになる。
 先生というのは、学校の先生も塾の先生も限らず、子どもをほめるときには、本音でほめる。
しかし問題を指摘するときは、かなり遠慮がちに指摘する。つまり何か先生のほうから問題を
指摘されたときには、かなり大きな問題と思ってまちがいない。そういう謙虚さが、子どもの問
題を知るてがかりとなる。言いかえると、子育てじょうずな人というのは、一方で聞きじょうず。
自分のみならず、自分の子どもをいつも客観的にみようとする。

会話をしていても、「先生の意見ではどうですか?」「どうしたらいいでしょうか?」「先生はどう
思いますか?」という言葉がよく出てくる。そうでない人はそうでない。中には、「あんたは、言わ
ないでくれ」と言った母親すらいた。しかしそう言われると、教師としてできることは、もう何もな
い。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(154)

●先生とは距離を保つ

 先生という立場が特殊なのは、その間に「子ども」がいることによる。だからそのため当然、
ふつうの人間関係とは異なってくる。異なって当然。先生とて人間とはいえ、その特殊性を忘れ
ると、先生と子どもの関係そのものまで破壊することになりかねない。そこでいくつかの教訓。

(1)先生とは、淡く水のようにつきあう……子どものことは子どものこと、事務的なことは事務
的なこととして、淡々とすます。これは教師の側についても同じことで、互いに深入りは禁物。
個人的な相談ごとはタブー。家族の問題を相談するのもタブーということになる。受ける教師に
ついていうなら、親からの相談は、子どもの問題に関してのみとなる。

(2)先生の批判、批評はしない……子どものいる前ではもちろんのこと、ほかの父母とも、先
生の批判、批評はしない。中には「あなたどう思う?」と聞いてくる親がいるかもしれないが、相
槌を打つのも避ける。相槌を打てば打ったで、今度はあなたの言った言葉として広まってしま
う。もし先生に問題があるなら、そのときはそのときで、慎重にことをすすめる。教育は信頼関
係で成りたっている。その信頼関係を破壊すれば、教育そのものが崩壊する。

(3)一部の父母の動きに同調しない……父母といっても、いろいろな人がいる。八人まではま
ともでも、まともでない人(失礼!)も、一、二人は必ず、いる。そういう人の動きのウズに巻き
込まれると、それこそたいへんなことになる。現に今、私の近辺でも、「言った、言わない」がこ
じれて、親どうしが裁判所で争っているケースがある。子どもへの過関心が高じて、育児ノイロ
ーゼやうつ病になっている親はいくらでもいる。

(4)ひんぱんな相談は避ける……あなたから見れば一対一かもしれないが、先生からみると、
一対一ではすまない。「先生は私だけに関心がある」と思うのも、また「私だけに特別の関心を
もってほしい」と思うのも、この世界ではまちがい。先生というのは、本当に忙しい。たった一人
の子どもですらもてあましているあなたが、三〇人も押しつけて、しっかりめんどうをみろという
のも、身勝手ではないか。そういう視点からも、先生との間には距離を置く。

 教育、教育といいながら、その底流では親たちの醜い欲得がウズを巻いている。とくに受験
期の親たちはそうで、ひょっとしたらあなた自身もその中に巻き込まれてしるかもしれない。し
かしもしそうなら、今すぐ、そのウズの外に出たほうがよい。あなたの思い出を醜くするのみな
らず、親子の間に大きなキレツを入れることにもなりかねない。 





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(155)

●先生泣かせの二人衆

 先生にも得意な子ども、苦手な子どもというのがいる。ただその前提として、問題のない子ど
もというのは、教えやすいが、しかし教えやすい子どもを教えるのは、教育とは言わない。指導
という。教育が教育なのは、教えにくい子どもがいるからであり、またそういう子どもを教えるか
ら教育という。で、その苦手な子どもだが、多くの先生たちの意見を総合すると、つぎの二つに
集約される。

(1)抑えのきかない子ども……近年問題になっている、集中力欠如型多動性児(ADHD児)に
みられるように、抑えのきかない子ども。ほかに新しい現象として、イメージが乱舞する子ども
もいる。言うことなすこと、突飛もなく、言動がクルクルと目まぐるしく変わるなど。テレビやゲー
ムなどの映像文化の悪影響ではないかと私は思っているが、まだ「思っている」という段階の
話である。テレビやゲームは、右脳ばかり過度に刺激し、論理的な思考をするのをさまたげ
る。

(2)無気力な子ども……まさに笛吹けど踊らずといったタイプの子ども。先生が説明していると
きは、ただぼんやりとしているだけ。そして何かの作業に移ると、とたん、「わかんな〜イ」「でき
な〜イ」と。そして家へ帰ると、親には、「先生は何も説明してくれない」「わからないと言っても、
ぼくを無視した」などと訴える。もう25年ほど前だが、ある幼稚園の先生に協力してもらい調査
したことがあるが、学習なら学習面だけで、とくに無気力になる子どもは、1〜2人はいることが
わかった。さらに高校生についていうなら、進学高校のばあい、1年生で、約10%が燃え尽き
症候群に襲われていることがわかっている。

 原因はさまざまであり、またその対処のし方もさまざまである。しかしこうした問題で注意しな
ければならないことは、(親がそれをなおそうとして無理をする)→(子どもの状態がますます悪
くなる)の悪循環である。こうした悪循環を感じたら、一歩、二歩と、親のほうが引きさがる。も
っと言えば、あきらめる。まずいのは、「まだ何とかなる」という淡い希望をいだき、無理に無理
を重ねること。子どもは行き着くところまで行き着く。



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ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(156)

●先生は年上の子ども

 私はときどき、年少の子どもを年長の子どもの間に置いて、学習させることがある。たとえば
小学五年生の子どもを、中学生の間に座らせて勉強させるなど。しばらくの間はそれにとまど
うが、やがてそれになれてくると、子どもに変化が現れてくる。こんなことがあった。

 N君はどこかつっぱり始めたようなところがあった。目つきが鋭くなり、使う言葉が乱暴になる
など。そこで親と相談して、中学生の間に座らせてみることにした。で、それから数か月後、気
がついてみると、N君のつっぱり症状はウソのように消えていた。あとで母親に話を聞くと、こう
教えてくれた。

N君の趣味はサッカー。その一緒にすわった中学生の中に、サッカー選手がいたのだ。N君は
毎回家へ帰ると、親たちにその中学生の話ばかりしていたという。それがよかった。N君はい
つしかその中学生をまねるようになり、勉強グセまでもらってしまった。母親はこう言った。「サ
ッカーの試合があったりすると、こっそりと隠れて応援に行っていたようです」と。

 何が子どもに影響を与えるかといって、同年齢あるいはそれよりもやや上の子どもほど影響
をあたえるものはない。そこでもしあなたの周辺に、(1)1〜2歳年上で、(2)めんどうみのよい
子どもがいたら、無理をしてでもよいから、その子どもと遊ばせるとよい。「無理をして」というの
は、親どうしが友だちになったり、仲よくしながらという意味である。あなたの子どもはその子ど
もの影響を受けて、すばらしい子どもになる。

 もちろん悪い友だちもいる。親はよく一方的に交際を制限したり、相手の子どもを責めたりす
るが、そうすればしたで、それは子どもに向っては、友を取るか、親を取るかの二者択一を迫
るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよいが、友を取ればその時点で親子の間に大
きなキレツを入れることになる。そういうときは、どこがどう悪いかだけを話し、あとは子どもの
判断に任せるようにする。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(157)

●友を責めるな、行為を責めよ

あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはどうするだ
ろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。こういうときの鉄
則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリスの格言だが、こういう
ことだ。

 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、子どもに、
「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよ
し。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになる。

友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろというのは、子
どもの人格を否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子ども
は窮地に立たされる。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい。ではどうする
か。

こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜ふかし
すれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」とか、など。

コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判断させるようにしむけ
る。そしてあとは時を待つ。……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。
そこで私はもう一歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友
をほめろ』と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そういう子ども
の性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子はユーモア
があっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっ
ていってあげてね」とか。そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わ
る。そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自
分を演ずるようになる。

つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわけだが、これは子育
ての中でも高等技術に属する。ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいる。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。祭
で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調
べてみると、その子どもが主犯格だった。

……というようなケースは、よくある。自分の子どもを疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思
ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。だからよけいに、友を責めても意味がない。何でも
ない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言である。





●子どもの抵抗力

 怪しげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れがとれ
る、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰ってもらった。

 西洋医学では、「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」という
治療原則を打ち立てる。これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核菌に敗れ
たからだ」と考える。だから「体質を強化する」という治療原則を打ち立てる。人体に足りないも
のを補ったり、体質改善を試みたりする。

これは病気の話だが、「悪」についても、同じように考えることができる。私がたまたまその男
の話に乗らなかったのは、私にはそれをはねのけるだけの抵抗力があったからにほかならな
い。

 子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に抵抗力
を養うという方法もある。たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚
えてくる。最初はささいな好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親はしかったり
する。で、さらにそのあと、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑を
はねのける子どももいる。

東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないかは、抵抗力の問題」とい
うことになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋医学の本質はここにあ
る。東洋医学はもともとは「病気になってから頼る医学」というよりは、「病気になる前に頼る医
学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と考えてもよい。ではどうするか。

 子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味。つまり子どもには、
自分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもその時期は早ければ
早いほどよい。乳幼児期からでも、早すぎるということはない。自分で考えさせる時間を大切に
し、頭からガミガミと押しつける過干渉、子どもの側からみて、息が抜けない過関心、「私は親
だ」式の権威主義は避ける。暴力や威圧がよくないことは言うまでもない。

「あなたはどう思う?」「どうしたらいいの?」と。いつも問いかけながら、要は子どものリズムに
合わせて「待つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗力のある子どもに
する。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(159)

●船頭は一人

 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるのか。そ
の中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。
「お父さんの給料が少ないでしょう。だからお母さんは、苦労しているのよ」と。あるいは「お父さ
んは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうならないでね」と。母親としては
娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、母親から離れる。離れるだけならま
だしも、母親の指示に従わなくなる。

 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもらう。賢
い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そして船頭役は
母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。たとえば何か重要な決断を迫られた
ようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょうね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよ
う」)と言うなど。

仮に意見の対立があっても、子どもの前ではしない。父、子どもに向かって、「テレビを見なが
ら、ご飯を食べてはダメだ」母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。こういう会話はまずい。こう
いうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう援護する。「お父さんがそう言っている
から、そうしなさい」と。そして母親としての意見があるなら、子どものいないところで調整する。

子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」と、まず
子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、子どものいない
ところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教育の大原則。

 ある著名な教授がいる。数10万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中で、こ
う書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会だ」と。し
かし夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子どもに見せ
てはならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものばかり。

 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつくる。そ
ういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話しあう様であり、
いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。古いことを言うようだが、
そういう「様」が、子どもの中に染み込んでいてはじめて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築
き、よい家庭をもつことができる。

欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。その第一
歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(160)

●子どもの一芸論

 Sさん(中1)もT君(小3)も、勉強はまったくダメだったが、Sさんは、手芸で、T君は、スケー
トで、それぞれ、自分を光らせていた。中に「勉強、一本!」という子どももいるが、このタイプ
の子どもは、一度勉強でつまずくと、あとは坂をころげ落ちるように、成績がさがる。そういうと
きのため、……というだけではないが、子どもには一芸をもたせる。この一芸が、子どもを側面
から支える。あるいはその一芸が、その子どもの身を立てることもある。

 M君は高校へ入るころから、不登校を繰り返し、やがて学校へはほとんど行かなくなってしま
った。そしてその間、時間をつぶすため、近くの公園でゴルフばかりしていた。が、一〇年後。
ひょっこり私の家にやってきて、こう言って私を驚かせた。「先生、ぼくのほうが先生より、お金
を稼いでいるよね」と。彼はゴルフのプロコーチになっていた。

 この一芸は作るものではなく、見つけるもの。親が無理に作ろうとしても、たいてい失敗する。
Eさん(2歳児)は、風呂に入っても、平気でお湯の中にもぐって遊んでいた。そこで母親が、
「水泳の才能があるのでは」と思い、水泳教室へ入れてみた。案の定、Eさんは水泳ですぐれ
た才能を見せ、中学2年のときには、全国大会に出場するまでに成長した。S君(年長児)もそ
うだ。

父親が新車を買ったときのこと。S君は車のスイッチに興味をもち、「これは何だ、これは何だ」
と。そこで母親から私に相談があったので、私はS君にパソコンを買ってあげることを勧めた。
パソコンはスイッチのかたまりのようなものだ。その後S君は、小学3年生のころには、ベーシ
ック言語を、中学一年生のころには、C言語をマスターするまでになった。

 この一芸。親は聖域と考えること。よく「成績がさがったから、(好きな)サッカーをやめさせ
る」と言う親がいる。しかし実際には、サッカーをやめさせればやめさせたで、成績は、もっとさ
がる。一芸というのは、そういうもの。

ただし、テレビゲームがうまいとか、カードをたくさん集めているというのは、一芸ではない。ここ
でいう一芸というのは、集団の中で光り、かつ未来に向かって創造的なものをいう。「創造的な
もの」というのは、努力によって、技や内容が磨かれるものという意味である。

そしてここが大切だが、子どもの中に一芸を見つけたら、時間とお金をたっぷりとかける。そう
いう思いっきりのよさが、子どもの一芸を伸ばす。「誰が見ても、この分野に関しては、あいつし
かいない」という状態にする。子どもの立場で言うなら、「これだけは絶対に人に負けない」とい
う状態にする。

 一芸、つまり才能と言いかえてもいいが、その一芸を見つけるのは、乳幼児期から四、五歳
ごろまでが勝負。この時期、子どもがどんなことに興味をもち、どんなことをするかを静かに観
察する。それを判断するのも、家庭教育の大切な役目の一つである。 




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阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
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